ブログ閉鎖に向けて/総括その2
これがこのブログ180番目の記事で、これで本当にこのブログを終えることにしたい。一応バックアップをとったら閉鎖しようと思う。
残念なことに、日本の景観、特に都市景観についての私の見解は、「犬と鬼」を著した日本在住の米国人、アレックス・カーに近い。日本の景観はすでに救い難いほどに醜悪になっているし、またその醜悪化は進行中である。その問題に対して、日本の建築家は解決の力になっていないばかりか、私の見るところ、むしろ都市景観の混乱に加担していると言ってよい。というよりも、建築家の問題意識がそこにないということかもしれない。しかし、結果は同じである。自分達の責任ではない・・と、知らぬ顔を決め込むのは、私にはどうしても卑怯に思える。
先日、建設中の中国中央テレビ(CCTV)新社屋で大規模火災が起きたことが報じられた。あわせて、北京市民の多くがこのことを「ざまぁ見ろ」、と思っているらしいということも伝えられている。国営の放送局であるCCTVに対する反感が主なものらしいが、レム・コールハース率いるOMAの手になるデザインへの嫌悪感もあるようだ。建築界では新しい時代を切り開く建物としてその完成を期待されているものが、大衆からは嫌悪の眼で見られている。このような例は過去にもある。パリのエッフェル塔の建設当時、パリの景観に対する異物として多くの人々の批判を浴びた。エッフェル塔はその後、パリのシンボルとして受け入れられるようになったのだが、このCCTVはどうなのだろう?歴史の審判に耐えることが出来るのだろうか?また別に起きた事だが、北京オリンピックの開催が決まって以来、北京では古い街並みが「汚いもの、恥ずべきもの」として急激に破壊された。確かに不潔な街並みが相当あったらしい。とは言え、胡同(フートン)が作り出していたまさに人間の都市の消失と引き換えにこの新しいCCTVが生まれるのだとしたら、それは確かに正しいことだろうか?このような文脈において、私は「建築は自由である」と言い切ることに躊躇する。あるいはそれを建築家の倫理と結び付けて考えざるを得ない。
建築はそれを生み出した文明の表現であることもまた事実だと思う。建築が芸術作品となることを私は否定しない。むしろ建築が芸術作品となるのは幸福なことである。このように述べることと、建築家の芸術家意識を非難することとは矛盾しない。建築家はひたすら時代の要請に耳を傾けるべきであろう。またその要請に応えようとするために、思索することが求められている。安易な預言者として振舞ってはいけない・・と、私は思う。
そのように思う一方で、建築の方法に限界が設けられているわけではないとも考えている。方法論は無数にあるだろう。ただその中からこの一つというものを選択する論理の中で、建築家の倫理は試されるであろう。
建築が我々の文明の表現であろうとするなら、「建築家は文明に対して責任が無い」、と言うことは筋が通らない。もちろん、職業としての建築家が持つ社会的な力は本当に小さい。施主から要求されることを拒絶することは、もしこの商売で生きて行きたいのなら、ほとんど不可能と言ってよい。それゆえに八束はじめ氏は「建築家にモラルを過剰に求めることは筋違いだ」、と述べているが、私は「それでも建築家は『我々の文明に対する正面からの問い』を問い続けるべきだ」、と考える。
もう書くことが無い・・としてこのブログ閉鎖を決めたけれど、こうして書いていると、書き加えるべきことはまだまだありそうだ。しかし、このあたりで終わりにしたい。外に出て、見たり聞いたりしたことをブログに書こうとしたのに、ブログを書くために外に出る機会を減らしているのでは本末転倒だ。書くことは当分休憩して、街に出て行く時間を増やすことにしよう。ブログを再び始めることがあったとしても、この『時には犬のように』の再開はしないつもりだ。だから本当に次の文章をこのブログの最後としよう。
建築家に限らず、あらゆる職業はこの人間の社会へのなんらかの貢献を目指すべきである。優れた建築は詩と呼べる質に至るけれど、最初から詩を作ろうとすれば建築を成就できないであろう。私自身は10年以上も前に管理職になり、設計組織の管理に多くのエネルギーを費やしてきた。思うように物造りに関われないことにいらつき、繰り返し気持ちが滅入ってしまったのだけれど、今はこれはこれなりの意味があることだと考えている。あらゆる組織は社会への貢献を目指すべきである。組織管理、マネージメントの目的の一つは、組織がその本来の目的を果たす為に行うのである。故に組織マネージメントを行う者が理念を持つことは、抽象的で非現実的な組織管理者となることではなく、むしろ組織が優れて社会の求めに応じるものとなるためには必須のことである。建築、精神、世界、企業活動。これらが今の私には矛盾なく共存している。そのように考えられるようになるのに、このブログはとても役立ってくれた。大げさなことを言えば、組織管理の仕事であろうと設計の仕事であろうと、私達は仕事を通して我らの文明とつながっているのである。
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