2009年2月19日 (木)

ブログ閉鎖に向けて/総括その2

これがこのブログ180番目の記事で、これで本当にこのブログを終えることにしたい。一応バックアップをとったら閉鎖しようと思う。

02

残念なことに、日本の景観、特に都市景観についての私の見解は、「犬と鬼」を著した日本在住の米国人、アレックス・カーに近い。日本の景観はすでに救い難いほどに醜悪になっているし、またその醜悪化は進行中である。その問題に対して、日本の建築家は解決の力になっていないばかりか、私の見るところ、むしろ都市景観の混乱に加担していると言ってよい。というよりも、建築家の問題意識がそこにないということかもしれない。しかし、結果は同じである。自分達の責任ではない・・と、知らぬ顔を決め込むのは、私にはどうしても卑怯に思える。

先日、建設中の中国中央テレビ(CCTV)新社屋で大規模火災が起きたことが報じられた。あわせて、北京市民の多くがこのことを「ざまぁ見ろ」、と思っているらしいということも伝えられている。国営の放送局であるCCTVに対する反感が主なものらしいが、レム・コールハース率いるOMAの手になるデザインへの嫌悪感もあるようだ。建築界では新しい時代を切り開く建物としてその完成を期待されているものが、大衆からは嫌悪の眼で見られている。このような例は過去にもある。パリのエッフェル塔の建設当時、パリの景観に対する異物として多くの人々の批判を浴びた。エッフェル塔はその後、パリのシンボルとして受け入れられるようになったのだが、このCCTVはどうなのだろう?歴史の審判に耐えることが出来るのだろうか?また別に起きた事だが、北京オリンピックの開催が決まって以来、北京では古い街並みが「汚いもの、恥ずべきもの」として急激に破壊された。確かに不潔な街並みが相当あったらしい。とは言え、胡同(フートン)が作り出していたまさに人間の都市の消失と引き換えにこの新しいCCTVが生まれるのだとしたら、それは確かに正しいことだろうか?このような文脈において、私は「建築は自由である」と言い切ることに躊躇する。あるいはそれを建築家の倫理と結び付けて考えざるを得ない。

建築はそれを生み出した文明の表現であることもまた事実だと思う。建築が芸術作品となることを私は否定しない。むしろ建築が芸術作品となるのは幸福なことである。このように述べることと、建築家の芸術家意識を非難することとは矛盾しない。建築家はひたすら時代の要請に耳を傾けるべきであろう。またその要請に応えようとするために、思索することが求められている。安易な預言者として振舞ってはいけない・・と、私は思う。

そのように思う一方で、建築の方法に限界が設けられているわけではないとも考えている。方法論は無数にあるだろう。ただその中からこの一つというものを選択する論理の中で、建築家の倫理は試されるであろう。

建築が我々の文明の表現であろうとするなら、「建築家は文明に対して責任が無い」、と言うことは筋が通らない。もちろん、職業としての建築家が持つ社会的な力は本当に小さい。施主から要求されることを拒絶することは、もしこの商売で生きて行きたいのなら、ほとんど不可能と言ってよい。それゆえに八束はじめ氏は「建築家にモラルを過剰に求めることは筋違いだ」、と述べているが、私は「それでも建築家は『我々の文明に対する正面からの問い』を問い続けるべきだ」、と考える。

もう書くことが無い・・としてこのブログ閉鎖を決めたけれど、こうして書いていると、書き加えるべきことはまだまだありそうだ。しかし、このあたりで終わりにしたい。外に出て、見たり聞いたりしたことをブログに書こうとしたのに、ブログを書くために外に出る機会を減らしているのでは本末転倒だ。書くことは当分休憩して、街に出て行く時間を増やすことにしよう。ブログを再び始めることがあったとしても、この『時には犬のように』の再開はしないつもりだ。だから本当に次の文章をこのブログの最後としよう。

建築家に限らず、あらゆる職業はこの人間の社会へのなんらかの貢献を目指すべきである。優れた建築は詩と呼べる質に至るけれど、最初から詩を作ろうとすれば建築を成就できないであろう。私自身は10年以上も前に管理職になり、設計組織の管理に多くのエネルギーを費やしてきた。思うように物造りに関われないことにいらつき、繰り返し気持ちが滅入ってしまったのだけれど、今はこれはこれなりの意味があることだと考えている。あらゆる組織は社会への貢献を目指すべきである。組織管理、マネージメントの目的の一つは、組織がその本来の目的を果たす為に行うのである。故に組織マネージメントを行う者が理念を持つことは、抽象的で非現実的な組織管理者となることではなく、むしろ組織が優れて社会の求めに応じるものとなるためには必須のことである。建築、精神、世界、企業活動。これらが今の私には矛盾なく共存している。そのように考えられるようになるのに、このブログはとても役立ってくれた。大げさなことを言えば、組織管理の仕事であろうと設計の仕事であろうと、私達は仕事を通して我らの文明とつながっているのである。

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2009年2月 1日 (日)

ブログ閉鎖に向けて/総括その1

このブログを解説したのは2005年5月5日である。3年と8ヶ月、だらだらとしたペースで続けてきた。先週の日曜の夜も記事を作ろうと思ってしばらく思案したが、特に書き留めるほどのことが思いつかなかった。それでこのブログは閉鎖することに決心した。しばらく充電したい。しかし完全に閉鎖する前に総括しておこう。「総括」って、流行ったなぁ、全共闘か・・・って。

そもそもこのブログは私にとって何であったのか。

一つには日記である。それも公開している日記。子供の頃から何度が日記をつけようとしたが、長続きしたことが無い。宿題の夏休み絵日記を8月も25日過ぎてからようやく手をつけるのである。そういうガキが世の中にはたくさんいると思うが、私もそういうガキだった。立派なハードカバーの日記帳を買ったことがある。買っただけだが・・・。ブログを付け始めて、誰だかわからないが読んでくれる人が少しだけど居る・・というのがここまで続けられた大きな理由だろう。一方で公開していることによる制約もある。あまりに私的なことは書けない。そこに多少のフラストレーションを感じながらも180ほどの記事を書いてきた。私にしては実に実によく続いた。

キャロは飼い犬である。この犬がいたので、このブログの名前を「時には犬のように」とした。できるだけ自由な心で書きたいなぁ・・と思ったからである。しかし、なかなか自由な気持ちにはなれないものである。いろんなしがらみを身にまとっているのがこの世に生きているということだろう。様々の経験も積んで、このところ古の隠遁者の気持ちがわかるような気がしてきた。若い頃には「そもそも隠遁してなんの良いことがある?」と思っていたのである。しかしまだまだ隠居するわけにはいかない。この先20年ぐらいは頑張りたいと思っている。俗世に対する色気は失っていないつもりだ。

Photo ブログ開始当時5歳だったキャロも9歳になった。9歳というのは人間だと50歳代半ばだそうだ。この犬についても書くことはあるだろうと思ったけれど、このブログの中でそんなに回数多く記事にはしていない。最後に一枚、犬の写真載せておこう。最近の写真ではない。ブログを始めた当時の写真だ。妻か娘のどちらかが本棚の隙間にキャロを入れた。そのままおとなしく隙間に納まっている。今も似たようなもので、しょっちゅう妻や娘達に意地悪されているが、憎くてやっているわけではないので、犬の方も承知で寄ってくる(ように思える)。それで時々「マゾ犬」と呼ばれている。以前と異なるのは、それなりに歳をとったということだ。年末に腰を痛め、今も後ろ足に麻痺が残っているようで、思い通りに脚が動いていないようだ。歩くことはできるが、この麻痺がいずれ治るのかどうかはわからない。この犬種は13歳ぐらいまでは普通に生きるようだから、まだ数年は我々家族の一員として、時には家族の癒しとして、また時にはお漏らしを叱られながら、我々と付き合っていってくれるだろう。間違いなく言えるのは、この犬は我が家族が好きであり、また我々もこの犬のことを愛している。

Photo_2 美味い物についても書きたかったが、これも取り上げたのはそれ程回数多くない。食べたもので「これは美味い!」と感じることが度々あるが、そういう感動も一時のことですぐに忘れてしまう。それではもったいないので記録したかったのだ。が、困ったことにいつもカメラを持ち歩いていない。携帯電話の画像がイマイチだったころはなかなか撮る気がせず、結局記録できないままのことが多かった。昨年秋に携帯電話を買い換えて、そこそこの画像で撮影できるようになった。これも最後に一枚、最近「美味い」と感じた食べ物を載せておこう。京急立会川駅の近くにある蕎麦「吉田家」の蕎麦味噌である。これを熱燗といっしょにいただいた。酒飲みにはたまらない一品だろう。東京ではやはり蕎麦である。しかし、前にも書いたが、京都ではうどんが勝る。死ぬ前に食いたいのは「河内屋のうどん」だが、残念なことにこれは叶わない。西陣にあった河内屋は店を閉じた。あぁ、美味いうどんが食いたいっ!!東京ではあれほどのうどんにこれまでついに出会わない。

読んだ本や雑誌の記事について、自分の勉強のために要約したり、感想めいたことを書いたりした。これは私個人にとって有益だった。ただ時間がかかる。私が読む本は大まかに言うとだいたい4つのジャンルに分けられる。一つは建築や都市に関するもので、自分の専門に近い分野。もう一つは思想や時には政治に触れたものがある。3番目は、これは最近になって割合が増えつつあるが、経済や経営に関するものがある。とりわけP.F.ドラッカーの著作には近年影響を受けている。この人の経営に関する洞察は、もはや哲学と言っても良いぐらいで、しかも哲学者と違って実践的である。正直に言うと、私は自分の職業についてここ何年も悩んできた。これについて自分なりに全て解決できたわけではないが、何とか光明を見出すことが出来たのはドラッカーを読んだおかげである。さて私の読書の最後のジャンルは、いわゆる大衆小説である。今さら純文学を読みたくはないが、面白い物語は時々読みたくなる。よって藤沢周平の小説はかなり読んだ。ただしブログには取り上げてこなかった。これはただ楽しめば良い。息抜きの類なのだ。特にそこから教わるということはほとんど無い。どのような小説より現実は重い・・というのが私の偽らざる心境だ。まだ社会に出ていない学生の頃なら文学から学ぶことも多いだろう。しかし自身の現実を前に文学の中から解決を導き出すのは、ちょっと今の私にはまどろっこしすぎる。というわけで、このブログには小説の類には一切触れて来なかった。

様々の場所について書いておきたいというのは、自分の「場所」に対する興味からである。いくつかの場所について記述する中で、私の眼は場所の一般性より、その場所の固有性に向かわざるを得なかった。それは私の建築感に確実に影響を与えてきたと思う。「建築」をどう考えれば良いのか・・ということが、このブログを始めた当時、恥ずかしながらよく分からなくなっていた。厳しい現実に圧倒されていたということもあったと思う。まるで建築を勉強し始めた頃のように、自分には「建築が分からない」という気持ちが強くあった。このブログを始めた理由には、それを書くことで克服したいという考えが、あからさまではないがあったかもしれない。そのことについての総括は次回へ。

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2009年1月18日 (日)

福井県立恐竜博物館

01 年末に福井へ行く機会があり、福井県立恐竜博物館を訪ねた。黒川紀章建築都市設計事務所の設計であり、黒川紀章氏の晩年の作品ということになる。円錐形やうねる壁など、黒川さんの特に後期の造形の特徴が出ている。ベタだなー・・という気もしたが、なかなかこの敷地では説得力があって、俺が実際に見た黒川さんの作品の中では1、2位をあらそう出来の良さである。ここに載せた写真が、それを証明している。建築がこういうことで良いのかという疑問はあるが、とにかくここでは福井の山間の地に放り込まれた単純な幾何学的造形が神秘的な・・と言ったら言い過ぎか・・、控えめに言っても心惹かれる風景を作り出している。「詩的か?」・・と問われれば、「詩的である」、と答えてよい。しかし「深いか?」・・と問われれば、「よく分からない」、と答えることになる。遠景が面白い。

02 外から見るとガラスの円錐になっている部分は、何のことはないトップライトである。随分大げさなトップライトで、金をけちって作っていてはこういうのはできない。トップライトの下はこの博物館のエントランスに現れる大きな吹き抜け空間だ。これがなかなか効いている。入口を入ると、真っ直ぐに展示室に向かってエスカレーターで降りて行く。トップライトからの自然光がこの大空間に降りそそぎ、空間をドラマチックに演出している。

金を使うことで建築は豊かになるであろうか?

優れた文明の遺産はいつも贅沢が生み出したものなのである。ノートルダム寺院を見よ、あるいは桂離宮を見よ。

それらは無駄とは違うものなのか?

無駄な贅沢もある。いやほとんどが無駄な贅沢の類である。ひたすら時間と金を注ぎ込めば豊かになるというものではないが、そのことを直感的に理解している人は少ない。そのために無駄な贅沢はあふれ、必要な豊かさは欠乏している。

では何が無駄な贅沢と真の豊かさを分けるのだろうか?

・・・。志・・かな。

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2009年1月12日 (月)

2009年1月11日の朝日新聞より

書くことは色々ありそうだけど、今日は真面目な話を記録しておこう。昨日の朝日新聞の記事のことである。それらは、「今回の世界的な経済危機から我々は何を学ぶべきか」、また「再び、共産主義に出番が廻ってくるのか?」、という俺の抱く問題とつながっている。

朝刊の一面に「失職・・・そこに共産党」というルポが載っている。

世界的な経済危機の影響で雇用情勢が悪化し、「貧困」が深刻化する中、政治に目覚め、共産党に入党する人が増えている。

今回の経済危機について、資本主義の枠組みの中で企業が、それもいわゆる一流と呼ばれてきた企業が行った罪が二つある。一つは今回の経済危機をもたらした原因、「貪欲な利益第一主義」であり、もう一つは主として派遣社員を対象とした「容赦ない雇用契約の破棄」である。しかも、原因を作り出した「野蛮な資本主義の仕掛け人達」の多くは、これまでに手にした莫大な金とともに舞台裏に引っ込んだ。舞台裏に引っ込んだだけで、金を手放したわけではない。そして一方、トヨタやソニーという日本を代表する企業が、年末の寒空に多くの派遣社員を放り出した。もし、政治や経済界が彼らを有効に保護することが出来ないのなら、彼らは連帯することが必要である。連帯して戦うことが残された手段である。

長らくこの世界に生きてきた経験から、基本的に俺は共産主義に否定的である。しかし、共産主義を大まかに診断と処方箋に分けるならば、診断の部分には共鳴するところが多い。だが処方箋には誤りが多いのではないか。一番の誤りは一党独裁という手段だろう。人民軍を正義の軍隊だとして許容するのも間違っている。それらが引き起こした多くの悲惨を忘れるわけにはいかないだろう。これらの誤りを徹底して自己批判し、出直すのでなければ信用できない。共産党という名前は少なくとも捨てるべきだろう。

だが今のこの状況下で、共産党のみが救いの手になっている人々が大勢いるらしい。そういう状況にしているのは自民党であり、対抗勢力であるべき民主党の無能であり、日本経済界の低いモラルであろう。

同じ朝日新聞の7面、opinionという欄には「資本主義はどこへ」と題して、「ケインズなら」と、ケインズの立場からの意見を伊東光晴京都大学教授が、「ドラッカーなら」と、経営学の巨星ピーター・ドラッカーの立場から上田惇生立命館大客員教授が述べている。すごくすごく説得力のある内容だ。

・・・疲れたので次回へ。

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2009年1月 4日 (日)

キャロが生えてますけど

08「あなた、脇から犬が生えてるわよ」

「あほっ、犬が生えるかいっ!それにしても食べにくいっ」

俺が飯を食べ始めると愛犬キャロは、あぐらを組んだ俺の膝に前脚を掛け、首を俺の脇の下から出して、食卓と俺との間に首を挟む。

「自業自得ね。わたしのところには来ないわ」

飼い犬には毅然として接しなければならない。しかしまあ俺には出来ない。哀れな顔で見つめられると、つい食卓の肉などを噛み砕いてキャロにやる。結果、脇から犬を生やすことになった。

0901021月2日、このように寝てばかりいては体調を崩すと思い、和光樹林公園へ出かけた。2キロばかりを軽く(?)走り、柔軟体操をする。木の葉はすっかり落ちた。

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2009年1月 1日 (木)

2009年元旦に

200812年が明けた。2009年1月1日である。

妻と娘は映画を見に出かけた。「ウォーリー」とかいうやつを見るのだと。そんな子供だましの映画を見に、50過ぎた親父が元旦からのこのこ出て行けるかぃ。・・で、キャロとお留守番することとなった。キャロは年末から腰を痛めて、後ろ足には麻痺もあるようだ。

この正月は京都の実家に帰らず、埼玉にいることとした。下の娘の受験が近いからである。上の娘の受験の時も京都に戻らなかった。まあ俺は、「例え受験の年でも正月ぐらい気分転換した方が良いんじゃないの・・」、という考えの持ち主だが、家族には受け入れられない。それで暮れに連休を利用して、両親の様子をちょっと見に俺だけ帰ったが、暮れと正月はこちらで過ごすことに決めた。それで時間ができたかと思うと、全然時間が無い。年末はブログを書く暇などあるものかは。

忘却力は日増しに強くなってきている。我が尊敬する黒川紀章氏が死んだのは一昨年の秋、つまり2007年の10月である。それなのに、前々回のブログ記事で、黒川氏が死んだのは「今年」、つまり2008年だと書いた。弁解するようだが先日同世代の友人と会った時、「黒川紀章さんが死んだのって今年だよね」。「うん、春だったよな」。という会話を交わしている。このようにして後期中年男性のボケは進行していく。間違いに気付いた俺は、前々回の記事を直ちに書き直した。「過ちを改むるに憚ること無かれ」

今年は大不況になりそうな気配である。建築の業界もこれから大きな波をかぶることになりそうだ。しかし今のところ、俺の職場は忙しくてたまらない状況だ。年末にはUR都市再生機構の仕事が一本入ってきた。これが工事費で27億だから、相当な仕事量になるはずである。部内では人が不足している。だからと言って安心していられる状況ではない。民間のデベの仕事はパタッと止まった。

もっと書きたいが、キャロが足元で「オシッコに連れて行け」、と言っている。犬語でだが。こういうのが解るようになったほどに、俺も飼い主としての経験を積んだ。ベテランの域である。

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2008年12月14日 (日)

2008年12月14日/雑感

08105 先日、朝早い時間に日本橋高島屋の傍を通った。あらためて見てみると、レベルの高いデザインである。これは1933年というから戦前に建っており、戦災を生き延びてきたことになる。最初のデザインはコンペで求めたらしく、高橋貞太郎という建築家の案が採用され、実施設計は他にも数人の建築家の協力を得て完成されたらしい。高橋貞太郎はどうも相当の力量のある建築デザイナーであり、今も残る前田侯爵邸の設計者でもある。知的でしっかりした構成力のある人だと思う。しかし時代の最先端を行く人ではなかったようだ。詳しくはまた調べてみたい。

屋上の緑が何か不思議な感じを与える。相当な荷重だけれど、構造は大丈夫なのか・・と職業柄、疑問が生じたが、都市景観としてはとても面白いし、なにか清々しいものがある。朝だからよけいにそう感じたのかもしれない。

この12月もご多分にもれず忙しい。自分で忙しくしている面もあるが、どういうわけだか、宿題がいっぱいあり、それもそれらの宿題が何か一つの目的のためのものでなく、一つを片付けて次に取り掛かれば、それは前のこととは何の関係も無い。おまけに忘年会が連日のように続く。妻は「断れば良いのよ」、とこともなげに言うが、「義理と人情、秤にかければ、義理が重たい」世界なのよ。

今日も、昼前から九州に飛ぶ。お歳暮のことは昨夜なんとか片付けた。すべて楽天ですませた。便利になったものだ。楽天が流行るわけだな。まだ年賀状の方は全然片付いてない。気持ちはあせる。とても25日までに出せないよ。

悪い話だが、来年は凄まじい不況になるのではないか。考えると恐ろしいほどであるが、日本は世界に先駆けてこの15年、バブル崩壊後の不況を乗り越えてきた。何とかなると思いたい。このことについては、もう少し自分なりに考えてみたい。

浅田真央がフィギアスケートのグランプリファイナルで優勝した。ショートプログラムで一位だった韓国のキム・ヨナにフリーの演技で逆転した。ライバルという言葉はこの二人のためにあるのではないかと思えるほど、この二人は実力伯仲している。俺が子供の頃、フィギアスケートと言えば、アメリカやソ連が圧倒的に強く、日本や韓国などアジアの選手が世界のトップを争うようになるとは考えられなかったな。一般的に胴が長く手足の短いアジア人は無理だと思ったのだが、浅田もキムもとても手足が長く、見栄えがする。個人的には、今回はキムに勝たせてやりたかったが・・なにしろ、彼女の自国での開催である。プレッシャーも強かったと思う。見てるとショートプログラムの一位は逆転される傾向があるね。滑る順番が最後になるというのが気持ち的にどうなんだろう・・やっぱり、前の選手が高得点を出すと、気持ちのコントロールが難しいんだろうね。

以上、思いついたまま。2008年12月14日の日曜日、これから九州に向かう準備にかかる。あぁ、どこかで丸一日休みたい。

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2008年12月 7日 (日)

自分は何者かという問い

081124 今年も残り少なくなってきた。日曜日の朝、いつものように樹林公園へ出かけた。美しい日曜日である。Beautiful Sundayというやつだな。この時節の太陽の光が好きだ。見損ねたフェルメール展だが、フェルメールの絵に描かれる光って、こんな光じゃないだろうか。

「眼の人か耳の人か」って聞かれたら、俺は多分「自分は眼の人だ」、と答えるだろう。そのことが若い頃、進路選択をする時期になって、建築に進みたいと思った理由の一つだろうな。今年亡くなった黒川紀章氏の影響も大きかった。40年ぐらい前になるのだろうか、テレビでしばしば「新進気鋭の若手建築家」として紹介された氏は、晩年の変なオヤジ的印象とはかなり違って、実に知的で洗練された雰囲気を漂わせていた。黒川さんの師である丹下健三などもテレビで見た記憶があるが、サルっぽい感じで、すごい人なんだろうけど、俺には黒川さんの方がかっこよかった。

高校3年の夏休み前頃、担任の先生から医学部進学を勧められたが、もうはっきりと建築科に行こうと思っていたので、気持ちを変える事は無かった。先生の勧めに従っていたら今頃どんなふうだったろう。自分で言うのもなんだが、俺はブログ上でこそ傍若無人な物言いだけど、実際には人当たりの良い人間である・・と俺だけ思っているのかな?だから結構良い医者になっていたんじゃないだろうか。地元で評判の医者で、けっこうな金持ちになってたかも知れんな。この道を選んだおかげで、金の苦労も含めて、いろんな厳しい状況を経験することになった。・・・それでも建築の道に進んだのは、自分という人間には合った職業選択だったんじゃないかと、今も思っている。

黒川紀章のような建築家になることを思い描いて選んだ進路だが、今の自分は相当に違う場所にいる。アトリエ事務所と組織事務所のもっとも大きい違いは、アトリエ事務所はいかに組織が大きくなっても一人の(または複数のコアとなる)建築家の構想する建築を実現するべく運営される組織であるが、組織事務所では地位が上れば上るほど、建築の設計からは遠ざかり、組織を運営するマネージャーにならざるを得ないんだな。いわば企業化していくのである。そういう意味では今の自分は、むしろマネージャー、組織管理者として自分を規定するのが正しいと思っている。そしてそういう組織管理者としての役割も、終わりに近づいている、少なくともフェーズが違って来るだろうという気がする。それは悪くないことだ。

俺はもはや、若い頃そう思ったように、「黒川紀章のようになりたい」と思うこともないし、例え若い頃に戻ったとしても多分そう考えないだろうという気がする。すっかり黒川紀章的なものから興味を失ってしまった。この40年で自分も変わったのだと思う。ただ自分は眼の人である。建築なるものを考えること・・そのことは俺の喜びである。その建築の道に進む大きなきっかけとなったのは黒川紀章という人であったことは間違いない。その人が亡くなって早1年以上が経ち、今年も暮れようとしている。

081124_2

ごちそうが様々に目の前に並べられると、嫌いなものから先に食べる性分だった。その性格は大人になっても変わらず、あまりやりたくないことからやる癖がある。損な性分かもしれない。でもどうなんだろう、やがて冬が近づくその時に、「俺は嫌いなものはすべて片付けてきた」、と考えるのはそんなに悪いことではない。楽しいことが残されている・・と思うのは甘いか。

見ることと精神が分かち難くこの世界に織り込まれている。そのことが建築の故郷であり、仮にそうでないと言う人がいたとしても、もはや俺には関係ないことである。

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2008年11月24日 (月)

ハンマースホイ展/11月23日の上野公園

2008年11月23日、勤労感謝の日に妻を伴って上野公園へ出かけた。久々に美術館へ行こうと、他ならぬ俺の方から妻を誘ったのである。天高く馬肥ゆる秋、芸術の秋、食欲の秋、行楽の秋なのである。俺は注意深く展覧会を選んだ。「フェルメール展」もそろそろすいてるんじゃないかな。なにしろ8月からやってるんだし。

ゲェーッ、すごい列やん。1時間半待ちだって。恐るべしフェルメール。だいたいが、この日、上野公園はお祭りのような人出である。

Photo というわけで、フェルメール展は諦めた。上野駅の方に少し戻り、国立西洋美術館でやっている「ヴィルヘルム・ハンマースホイ展」はどうかと行って見ると、なんとか待たずに入れる。こちらの方も興味はあったので、こちらで妥協することにしたのだが、これがなかなか良かった。

ヴィルヘルム・ハンマースホイのことは全く知らなかった。デンマークの画家で、19世紀末から20世紀頭にかけて、人物画や室内画、風景画に独特の雰囲気を持った作品を生み出している。この画家の作品のことはここで詳しく記録しない。不思議な作風である。後ろ向きの人物(多くは画家自身の妻)を入れた室内画を多く描いている。

国立西洋美術館は言わずと知れたル・コルビジェの設計により建てられた、日本における唯一のコルビジェ作品だ。これは少し前、建物の下に免震装置を組み込んで改修された。久々に見たけれど、やっぱり新しい。かつ、品格がある。それはさすがと言うべきだろう。

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2008年11月16日 (日)

初秋の頃、伏見に行った/京都

Photo 9月の末のことだが、伏見へ行った。伏見は京都市の南の方にあり、めったに行くことは無いのだが、用事があって久しぶりに訪ねた。前に来た時(いったい何年前か?)と比べ、かなり変貌していた。

変貌したと言っても、良くなっているところもあるし悪くなっているところもある。伏見の観光資源を生かそうというのか、酒蔵のある辺りを整備していて、それは(見、飲、食とも)なかなか楽しめる。

伏見の寺田屋は坂本龍馬の妻となった「おりょう(お龍)」が奉公していた旅籠で、寺田屋事件の舞台となったところである。この旅館の2階には坂本龍馬が襲われた時に刀によってできた柱の傷と称するものがあるが、最近、この建物がその当時の建物ではないことが明らかにされた。龍馬が襲われた当時の建物は鳥羽伏見の戦いにおいて焼失したとされ、その後今の建物が建てられたようである。若い頃に中に入ったことがあるが、その時見た柱の傷は何だったのだろう?

Photo_2 伏見は太閤秀吉の頃から整備された淀川(宇治川)を往復する三十石船によって大阪と結ばれていた。つまり京都の玄関口であったわけだが、寺田屋の前も船着場だったのだろうか。当時の水路の状況は調べていないのでよく解らない。それらしいものが今もあるとだけ書いておこう。

この運河が近年遊歩道として整備されたようだ。昔来た時は草ぼうぼうだったがな。今はよく育った柳が水辺を覆う。この写真の運河に沿って歩いていくと酒蔵が建ち並ぶところに来る。よく写真にPhoto_3撮られるところだ。

伏見の酒造がある街並み。このあたりも随分整備された。観光目的で整備されたのだろうが、何が目的であろうとこうして街並みが残るのは喜ばしい。電信柱が無い。電線も地中埋設されているようだ。酒造のある街角の黄昏時・・・か。

右手の店は確か月桂冠酒造のやっている店だった。中で飲食できるようだが、他に目当ての店があったのでここはそこそこにして移動した。

2 伏見の街角、もう一枚載せておこう。電線がちょっと出てきたね。右手に写っている犬を散歩させているおネエちゃんが、ちょっといいオンナだった。街を撮るという名目でおネエちゃんをフレームに入れたんだけど、ちょっと離れすぎているよな。こういう街角で犬を散歩させているうら若き美人・・・ええなぁ。

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2008年11月 9日 (日)

日本はどこへ向かう/上野千鶴子の論説から

081109今朝は近所の川辺に散歩に出かけた。カモの親子が泳いでいた。子供のカモはもうかなり大きいのだけど、まだ親ガモから離れられないようで、一所懸命について行っているのが可愛い。晩秋の景色に心が和んだ。

アメリカでは史上初の黒人大統領が誕生した(正式には就任してからだが)。オバマさんは47歳だ。若っ!しかし人間は、経験、知力、気力がバランスされて充実を極めるのはこのぐらいの年齢かもしれんな。凄いね。安倍元首相も若かったのだが、首相になった時、確か52歳じゃなかったっけ。俺は安倍さんには最初から批判的だったのだけど、オバマさんにはリーダーとしての才能を感じている。

政治家には見た目の良さは必要で(なんでなんだろぅ?)、安倍さんはその点、日本の首相としては随分イケ面の部類に属すると思う。だけれども、どういうわけだか安倍さんからは『ひ弱さ』みたいなものを感じたのは俺だけ?言っていることはタカ派的で、強硬論的なんだけど、目が泳いでいるし、話し方が良くないな。日本の政治家もオバマさんから学んだ方が良い。オバマさんもイケ面(特に笑顔が良い)だが、大事なことはその話し方から信念と信頼感が伝わってくることだ。声質も良い。ビブラートのある中音で、聞いていて心地良い。安倍さんの声はかん高くってイライラしたな。

で、先週の朝日新聞紙上における上野千鶴子東大教授の論説のことを記録する。

05年の郵政選挙で有権者が与えた支持は、改革への支持であったことを忘れてはなりません。問題は改革のめざす方向です。

インプットが変わればアウトプットは異なる。当たり前の話だ。もし日本が1960年代と同じような世界の中で、同じような人口構成、同じような消費行動、同じような社会資産、等々であれば、同じような政治体制、同じような行政システムで良い。それで日本は成長してきた。だが、現実には世界は変わり、日本という国が直面する問題構造も大きく変わった。「改革」(「革命」ではない)を否定することは頑迷であることを告白するに等しい。しかし「どの方向に向かって改革するのか」、を言うことは難しい。

ここへ来て小泉首相時代の誤りを指摘する声も小さくないが、政治と政策には常に正しい真理などは無いのではないか。盤上を転がるビー玉を玉に直接手を触れずコントロールするのに似ている。盤を右に傾け続けることは真理ではない。それと同じく、左に傾け続けることも正しい選択肢ではない。もしそういうこと(常にどちらかが正しい)を言う人がいたら、その人は政治的には愚者であろう。

シナリオは二つあります。一つはネオリベラリズム(新自由主義)型改革路線。別名アメリカ化といえるもので、これまで日本はこの方向に突っ走ってきました。もう一つは社会民主主義路線。市場経済を否定することは誰にもできませんが、その限界もまた明らかです。社民型とはネオリベ型の市場万能主義に対して市場の限界を認めたうえで、そのリスクをやわらげるために再分配・社会連帯の原理を接ぎ木する、水に油を混ぜてドレッシングにするというヨーロッパ型の路線です。

・・・・

福祉か成長かと問われますが、社会保障も厚く、成長も達成している北欧のモデルが現にある。政党は高負担を言い出すことを避けますが、社会意識調査では、安心を高めるためなら今以上の負担に応じてもいいと回答者の6割以上が答えています。

麻生首相も圧倒的な支持は得ていないようだが、最近の麻生さんの言動で一つだけ俺が評価するのは、「目下の経済危機を和らいだ後で消費税率を上げる」、と明言したことだ。もちろん、税金が上るのは誰にとっても楽しいことではない。しかしながら、例えば、日本国民にとって今後益々大事な介護の仕事に就く人達の低賃金を、皆どう思っているのだろうか?あるいは、昨今問題になっている産科医の過酷な勤務と、それにより悪循環に陥っている産科の医者不足をどのように解決していくか。介護事業など、現時点では商売にならない。介護職員の低賃金労働でやっと成り立っているのではないのか。これらの問題解決には端的に言って金の流れを変える、すなわち公的な資金が必要であろう。

税金を政府による収奪の手段とのみ解するのは明らかに誤りで、理性的な国民の多くはそれを理解しているだろう。民主的な政治に於いては、税金のシステムは金の流れを政策的に変える手段であり、そのように解するべきである。国の経済力は「金の量」×「金の流速」だと俺は大雑把に考えている。もし「死に金」というものがあるのなら、経済を損ねる。倫理的にはともかく、マクロ的には「金持ちの貯金」も「貧乏人の貯金」も、もしタンス貯金になっているのなら等しく悪い貯金である。なぜならそれは流れていないからである。消費税がたとえ上がったとしても、それが正しく流れるのならば、やがては自らに還元される可能性は相当にあるはずである。

民主党は反自民の対抗軸をつくる必要から社民的な政策ビジョンを提示しています。ただし、政権をとった後でどう変わるか。そこはばくちです。もう一つのばくちは、自・民の大連立の可能性。国民に高負担を求める抜本的な社会保障改革は大連立以外にできないかもしれませんが・・・

確かにばくちだな。先に書いたように、永久に正しい選択肢は無い。これからも日本国民は政治選択に右往左往するかもしれんが、俺はそれで良いと思う。ただ目指すところは高負担高福祉国家じゃないのかな。そういう国民的合意形成をうまくやれる人が、これからの日本の政治リーダーとなるべきだろう。麻生さん、酒ばっかり飲んでちゃ駄目よ。

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2008年11月 3日 (月)

上野千鶴子/11月2日の朝日新聞より

08毎日曜日の朝、樹林公園へ行く。雨の日は別だけど。

秋が深まりつつある。いいヨ。気持ちが穏やかになります。

11月2日、11月の最初の日曜。家族はまだ寝ているという朝早く、寝床を出て新聞に目を通した。朝日新聞のopinionというページで、東京大学教授の上野千鶴子が、日本の今後取るべき政治選択について述べている。なかなかええこと言うとる。俺の感覚に近い。

政治的なことについてはあまり触れないようにしてる。理由はいくつかあるが、あんまり勉強していないので、「うかつなことを言わん方がええ」、というのが最大の理由かな。小中学生の頃、暗記科目が苦手だった。社会はだいたい嫌いだった。

政治的なことを口にして、それまで親しかった人と何かギクシャクしちゃうのもいやだ・・というのもある。しかし政治的なものが嫌いという訳ではなさそうだ・・と、自分では解ってもいる。

上野千鶴子は社会学者だけど、女性学で名を売っている人だ。いわゆるフェミニズムの旗手であって、男にとっては怖い女なんだけど、その論は、俺の断片的に知る範囲では、理性的であり、感情的な男性攻撃は無い。そのあたりは田島陽子とかなり違う。

ただし、若い頃から、すごく頭の切れる人という印象がある。うかつに発言すると抜く手も見せず切る。気が付くと、「お前はもう死んでいる」状態になっている。この人に対峙して、建築家の山本理顕が以前ズタズタにされていた。あのコワモテ(と、俺には見える)が・・である。

上野千鶴子が朝日で述べていた政治選択については次回に。

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2008年10月26日 (日)

みなとやの鉄火丼/アメ横での昼飯

Photo美味い物を食べたいと思うが、列に並ぶのは嫌いだ。並んでまで食べたいとは思わない。それでこの店も横を通ったことは何度もあるが、今まで入ったことは無い。それが先日久しぶりにアメ横に来る用事があり、ちょうど昼時だったのだけれど側を通ると何と席が空いている。「みなとや」。やっと入った。

休日だったが、アメ横は相変わらずの人出だった。「みなとや」の鉄火丼、まずまずのコストパフォーマンス。鉄火丼作るのに何か秘密があるだろうか。新鮮なマグロがたっぷり乗っかっていればそれで良い。あと、米は良い米を使っていること。

店を出る頃には列が出来ていた。

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2008年10月13日 (月)

奈良で見つけた空間の詩学

Photo_3 奈良町格子の家に上りこみ、奥の間に座って離れ座敷を撮った。座敷に突っ立っている旅行客が邪魔だが、この坪庭がこの家に素晴らしい効果をもたらしていることは解る。一つには母屋と離れとの適度な距離感を作り、また一つには離れに至るそのわずかな距離を移動する楽しさを生み出していることである。

この小さな坪庭のデザインもよく出来ていると思う。これはひょっとして現代の造園家の手によるものかもしれない。そうでないかもしれない。百年前、二百年前の庭の再現だとしても不思議ではない。そういうことが判別できない・・そのことが日本の文化の特徴を指し示している。抽象的であり、象徴的であり・・・という。

Photo_4 2階に上れば日本の伝統的小屋組がむき出しで目の前にある。そこに小さな天窓から光が差し込む。日本の伝統的な民家ではよく見られる光景でそう珍しくもないが、とは言え美しい。このようなものがいわゆる「美」を目指して作られたものではなく、「実用」を旨として、無名の大工の手によって継承されてきた技術の表現であることは皆が了解していることだ。それゆえに機能主義を擁護する実例となる。

力学的要請により、また大工の手仕事の導くところにより、屋根を支える木の軸組みはこのようである。ただそこに光が介在したのである。そのことにより、物質は自らを現し、光は語り部としてそこに安らうのである。

01_2 春日大社の参道に見つけたこの建物にも強く惹き付けられた。軽やかな桧皮葺の屋根、漆喰の壁。苔むす石垣の堅牢さ。職人の愚直な物との関わりが、今日この時になお光をして詩を語らしめる。

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2008年10月 5日 (日)

格子の家/ならまち

01_4 奈良町(ならまち)を訪れたのは、よく晴れた暑い日だった。近鉄奈良駅を出て南に向かう。三条通を越えたあたりから奈良町と称される地域に至る。奈良町は正式の地名ではないらしいが、このあたり一帯を近年このように呼んでいるということだ。世界遺産にも登録されている元興寺の周辺である。

とにかく暑くてたまらん・・という日差しの下、観光案内所でもらった簡単な地図を頼りに、格子の家と呼ばれる建物に向かった。だいたいいつもそうだが、思い立って出かける。何も調べてないことが多いので、大事なものを見落として帰ることも多い。この日もそうで、帰ってから調べたら随分ポイントをはずしている。

奈良の街を歩いてすぐに気が付いたが、京都とは違う(あたりまえやろ)。なんとなく、田舎風、と言って悪ければ古風である。剛直な感じがある。それはそれで良い。むしろ京都の線の細い感じより、俺には好ましく感じられた。奈良町の観光スポットの一つになっているこの「格子の家」の格子は骨太で、京都ではこれ程の太いのはまず見られない(見た記憶が無い)。ただし、この家は実は昔あった家を建て直しているので、新しいものだ。だいたいは昔の家を再現したというのだが。

03_4 格子を中から見るとこんな感じ。このおかげで、道路に直接面していても部屋の中のプライバシーは適度に守られている。一方、部屋の中からは外の様子が分かる。そういう公と私の関係を作り出す装置、しかけ。このような室内と道との関係から作り出される街・・・自然と街の物語が生まれるような気がする。この部屋で煙管でも燻らせながら、あるいはお茶でもすすりながら道行く人を観察する。良い事ばかりではないだろうけど、濃密な都市が育つ。庭付き一戸建にせよマンションにせよ、現代の住宅には無い感覚だな。

02_3 屋根に切り取られた光が坪庭に差し込む。この小さな坪庭は昔あったものを再現したのだろうか?光は影によって顕わになり、影は物によって作られ、物は光によって現れる。建築を行おうとする者が光を軽んずることが出来ない所以である。

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