ハナタレ
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福井の建築を案内してくれたのは俺の大学時代からの友人Mであるが、福井県立図書館を見た後、「シーラカンスの設計した中学があるから見て行く?」と聞くので、断る理由もなく、連れて行ってもらった。
丸岡中学校という。北陸の冬。天気は変わり易く、少し前まで青空が見えていたが、この写真を撮った時は湿った空になっていた。それにしても、遠方よりこの建物が見えてきた時、俺は何かの工場だと思った。その建物がグラウンドに面しているのを見ても、その印象は変わらなかった。一つ一つのパーツは恰好良く今風にデザインされている。しかし建物全体が放つ冷たい印象はいかんともし難い。Mによれば内部は木がふんだんに使ってあって、そう悪くないそうだ。この日は休日で、この学校に関係の無いオヤジが勝手に中に入るわけにいかず、あくまで外を見た限りの感想だが、またこの北陸の冬の空の下での印象だが、そのことを差し引いても、「学校がここまで工場に見えてはいかんのではないか・・?」 冬休みにもう入っていたため生徒の影は見えず、よけいに寒々とした光景であった。
もう一度、福井県立図書館の写真だ。これは自転車置場。自転車置場でさえこのようにスマートにデザインし、美しいコンクリート打ち放しの仕上げを求めるのは、やはり槙総合計画事務所らしい。これ、自転車なくして、まわりにガラスを入れたら、事務所とかショールームとかで通用するよね。こんなとこまできっちり建築していることに感心したのか呆れたのか、自分でも判らない気持ちを抱いたのである。なによりお金のことが気になった。ここまでするか・・する必要があるのか?俺って貧乏性だな。でも使ったのは税金だしな。
前々回、建築とはつまるところ詩作だと書いた。では詩とは何なのだろうか。若い頃に読んだハイデッガーの思想によれば(もし俺の理解が間違ってなければ)、人間という存在は特別な存在である。それは人間だけが「存在」そのものに問いを発することができるからである。それにもかかわらず、我々は通常、そのことに思いを馳せることなく生きている。つまり存在忘却の状態にいるわけである。その状態での人間の物あるいは世界との関わりは、道具としての理解である。身の回りのあらゆるものが道具的に自分の前に現れており、そのことに疑いを持つことすらない。詩作というのはあきらかにそれとは違う物あるいは世界との対峙を要求するのである。この世界に投げ込まれた存在を思索することのできる存在(現存在)として、人が物と対峙する時、その人から発せられる言葉が詩となっていく・・・そのように考えられるのである。常識というものが我々の存在忘却の状態を前提とした物の理解であるなら、その常識の正当性を揺さぶるような表現が詩であり、それが住むあるいは生を営むことに向けられた時、建築が詩となって行くのだろうと思うのである。ただそれはたやすく達成できるものではない。
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フィールズ賞とプリッカー賞は当たり前だけど違う賞である。その当たり前のことを間違う。俺も早くもボケが始まったか。昨日のブログ記事で槙文彦氏がフィールズ賞受賞者だと書いてしまった(もう直してあるよぉ)。プリッカー賞の間違いである。フィールズ賞は数学の賞。プリッカー賞は建築の賞である。ともにそれぞれの分野では世界最高の賞ということになっている。プリッカー賞の日本人受賞者は確かこれまでで3人のはずだ。丹下健三、槙文彦、安藤忠雄の3人である。この賞の歴史の浅さを考えると、3人は結構多い。日本人建築家が案外と世界的に認められていることの証明となる。だけど、国内では建築家ってのはかなり誤解された存在だ。それは建築家の側にも責任がある・・と俺は常々思っているよ。
昨日は土曜休暇の日にもかかわらず仕事に出た。会社に着く前に銀座一丁目、二丁目辺りを歩いた。そうしたら、銀座は裏通りに昔の銀座の面影をとどめていたよ。
奥野ビルは今は画廊がたくさん入っている(その他は税理士事務所とか)が、元はアパートである。ちょっと前に朝日新聞に取り上げられていた。昭和7年の建設だが、いまだに現役である。しかも入居は空き室待ちの状態だという。
設計は川元良一だと言われている。川元良一は同潤会の初期のアパートを手がけた建築家として知られている。その人が独立してから設計したのが銀座アパートメントでつまりこのビルである。建物の中央にスリットがあるのは、二期に渡って建てられたもので、
写真の向かって左が第一期、それに増築する形で向かって右の半分が足された。スリットはその結合の痕跡である。今は、小さなベランダに置かれた鉢植えが育ち、ビル全体に迷宮の感を与えている。
だがこの建物、俺にはあまり良いデザインに思えない。むしろ凡庸である。ただこの頃の建物が持つ時間による熟成の味が人々を惹きつけるようだ。作詞家の西條八十もその昔このアパートに住んでいたらしい。「昔恋しい銀座の柳~」という歌詞で有名な東京行進曲を作詞した人だ。そういう意味では由緒正しい銀座の記憶を宿す建物である。
奥野ビルのすぐ近く、銀座二丁目になるが、ヨネイビルディングはある。昨日初めて見た建物で、ぱっと見、判断に迷った。昭和初期のものか戦後のものか。戦前のものにしては基壇部から上のデザインがあっさりしすぎている。しかし基壇部は十分に念入りのデザインである。三層構成のデザインだと思われるのだが、最上層は何の変哲もなく終わっている。家に帰って調べてみたら、やはり中層から上は改修されていた。元は中層から上が総タイル張り(おそらくスクラッチタイル)で、最上層もしっかりと存在していた。建築年は昭和5年。設計者は森山松之助、辰野金吾の弟子である。森山松之助は台湾総督府を設計した人である。俺はロマネスク調のデザインには結構弱い人なので、この建物は奥野ビルより気に入った。1階に有名な洋菓子屋の菓子レストランが入っている。今度は中を見てみたいと思う。でも一人じゃ恥ずかしいな。
銀座一丁目角、中央通りに面して読売広告社本社ビルがある。設計は日本設計で、それも日本設計のエースデザイナー、淺石優の手になるものと記憶する。ヨネイビルには近く、1階のアーチはひょっとしてヨネイビルを意識したものだろうか。これがなければ美しくともただのガラスの箱。その意味では効いている。
淺石さんは日本設計の顔だけど、あまり組織で偉くなるタイプの人ではないらしい。まだ日本設計にいるのかな?
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福井県立図書館は槙総合計画事務所の設計だ。年末に福井に行く機会があり、連れて行ってくれる人があったので訪ねた。福井市の街中にあるのではなく随分郊外にあって、ちょっと不便な場所にあるように思った。
何枚か写真を撮ったが帰ってみてみると、あまり良いのが無い。この写真は建築よりもランドスケープを撮っている。この写真を撮っている時、北欧の建築家、グンナール・アスプルンドの名作、「森の墓地」を思い出していた。槙文彦さんはもちろんグンナール・アスプルンドの影響を受けていると思う。福井県立図書館のランドスケープデザインは槙さんが直接構想したのかどうかわからないが、こうしてもらいたいぐらいの意向はランドスケープデザイナーに伝えたんじゃないかな。
ただアスプルンドの「森の墓地」(世界遺産でもある)の方がスケールが大きく、福井県立図書館はそこまでのすばらしさを獲得できていないが、これから木が育てば相当なものになると見た。
ところで、アスプルンドは俺が本当に好きな建築家だ。ミースも好き、カーンも好き、コルビジェも尊敬する、バラガンも素敵。でも今一人だけ挙げるのなら、アスプルンド。
建築は最後は詩作だと思う。
福井県立図書館は槙総合計画事務所らしいデザインでかなり良いのだが、こういう手馴れたデザインにこちらもちょっと飽きているところがある。うなるほどの感動は正直無かった。この図書館についてももう少し感想を書きたいが、また次の機会にする。それにしても、槙文彦は仮にもプリッカー賞受賞の世界的建築家だ。その彼がデザインしたことを、この図書館のどこにも(少なくとも目につくところには)記してなかった。日本では建築家の扱いはこの程度だということが悲しい。
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姜尚中の「愛国の作法」を読んだ。最近この手の政治的な本を読むなぁ・・。言っとくけど、俺は政治的人間ではない。政治なんかどうでもいいとまでは思わないが、そのことで口角泡を飛ばして議論するような人間ではない。しかし、俺の関心が最も強い都市や建築空間のことを考えていると、どこかで政治的なものと繋がっているのも事実だとは思う。
「愛国の作法」は小難しい本だ。姜尚中は東大教授で政治学者だから当然理屈っぽい。よく言えば緻密な理論を展開する。しかし、この難しい本の中で結局言いたいのは、「国を批判的に見ることこそ真に愛国的態度なのだ」ということではないか。俺はそう読んだ。
この本の中ではしかし、多くの愛国を廻る問題点が取り上げられており、それらをどう考えるかは個人の問題だとしても、確かに示唆に富んでいる。「愛国は愛郷の延長ではない」という議論もその一つだ。俺は若い頃に米国にしばらく住んでいた。米国は存外美しい国だということは前に書いた。そのまま米国に住み着いても良いという気もあったが、様々の理由で日本に戻った。その様々の理由の一つが故郷への愛着であったことは間違いない。愛国ではない。姜尚中は安倍首相が、「郷土を愛する心は国を愛する心の源である」としているその思考を批判している。そしてその論は俺も実感として納得できるものである。愛郷は自然的であっても、愛国は相当程度政治的なものである。
そもそも、愛国と言いながらその実は、時の為政者が自らが執り行う政策への無条件な追従を求める、その踏み絵として「愛国」を取り扱うなら、それは極めて危険な装置へと変貌するのである。愛国に罪は無いとしても、愛国は政治的に利用し得るのだろう。
俺はこう思うよ。愛国と言えども様々に解釈され得る。そうであれば、愛国のあり方も各々自由であるべきだろう。パラドキシカルな言い方だけれど、「国を愛せない人々の存在を認めること」もまた、愛国的な態度だとも言える。
ところで姜尚中に対する俺の印象だが、ちょっと面白くなさそう。眉間にシワをよせたような顔がね。あまり親しくお付き合いしたいタイプの人ではない。でもさすがに頭は明晰な人のようだ。
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正月は京都で過ごした。12月30日に車で京都に向かい、1月3日にこちら(関東)に帰ってきた。そうそう、ETCを装備したんだ。それで高速道路のゲートはスイスイ通った。ほんの少しだが気分良かったよ。
京都の実家で食べる雑煮は、元旦は白味噌仕立て、二日目は澄まし汁仕立て、三日目がまた白味噌だ。京都の家がどの家もこのようなやり方なのかどうかは知らない。我家ではずっとこうだが、三が日とも白味噌雑煮の家が多いのではないか。
左の写真は元日のものである。男は餅の他に「かしら芋」と称するものを食わねばならない。あと里芋、大根など入っている。雑煮の上から削りたての鰹節をかけいただく。かしら芋はよく知らないのだが里芋の親玉のようなやつで、京都では正月に食される。これを食べきるのが大変で、なにしろソフトボールほどの大きさのイモである。食っても食ってもイモである。俺が子供の頃はこれを食いきるのが大変だった。なんでこんなものを正月から食わされるのか・・・と、うらめしかったものである。
しかし、基本的には白味噌雑煮は美味い。俺の子供はこの雑煮が好きで、下の娘が小さい頃のことだが、正月二日目の朝の雑煮を前にして泣き出したことがある。何故泣いているのか判らず問いただしてみると、二日目の雑煮が澄まし仕立ての雑煮だったのが悲しかったらしい。それは我家の笑い話として、いまだに正月になると語り草だ。
もう一枚は正月の雑煮とともにいただく「大福茶」だ。梅干と結び昆布が入っている。これも子供の頃は苦手だった。だいたい俺の場合、梅干が天敵だったからどうしようもない。梅干が食えるようになったこの頃はこれも全ていただく。
毎年同じように食っている正月の雑煮だが、今年も実家の両親とともにいただけた。二日の日は妹夫婦の家族も四日市から出てきた。姉の住むマンションでひとしきり酒を飲んだ。今年も良い年でありますよう。
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