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2007年8月26日 (日)

ぜんざい/沖縄

那覇市は首里の方にある沖縄そばの店に連れて行ってくれる人がいた。8月の最初の頃である。「しむじょう」というその店は地元では知る人ぞ知る店らしい。しかしそこへ着くには、細い道を山に向かってくねくねと上らなくてはならない。観光客でここに来る人は少ないようである。

沖縄のそばを始めて食ったのは建設現場の食堂であって、最初はあまり美味いと思わなかった。中華そばとウドンを足して二で割った感じでね。出汁も超薄味。中華そばをウドン出汁で食っていると言えば近いかな。現場の食堂のは、建設現場だというのに調味料を節約しているのか、お湯に近い味だったね。だが後に、おいしい店に連れて行ってもらったのをきっかけに好きになった。今回の「しむじょう」の店も美味しかったよ。でも食後に庭に出て食べた「ぜんざい」のことを書いておこう。感動。

Photo沖縄のぜんざいは熱くない。温かいそばを食った後、庭に出て東屋の屋根の下に入ると、そこには沖縄の夏の風が吹いていた。 東京よりはよっぽど気持ち良い。そこに出てきたのがこれ。氷アズキじゃん・・・て。この写真は少し食べたあとのもの。最初は氷が全面にかぶっていて真っ白なの。そこをスプーンでほじくると、下に金時アンと餅が現れる。その色の取り合わせが美しい。沖縄というと金とか朱色とか、あざやかな色合いのイメージがあるのだけれど、このぜんざいは最初白色で出てくるの。ただのみぞれ・・って感じ。白無垢の純真な奴が恥じらいながら出てきたと思って、そこを情け容赦なくスプーンでほじくると、中から金時豆のアンと餅という老練なコンビが出てくる。しかもその純真な奴と老練なコンビが力を併せて味覚を攻めてくる。おのれ謀ったか・・と気が付いた時は、スプーンがとまらぬ。久々に甘いものに感動した。

01せっかくだから「しむじょう」の建物についても少し書いておく。この建物は首里にある民家を利用して店にしたもの。沖縄の典型的、とは言ってもかなり上流階級の家の形を見られる。

アプローチはこの通り。正面にヒンプン(屏風)がある。邪鬼はまっすぐにしか入って来れないため、これで遮る・・・ということなのだが、建築計画的にも効果が出ている。アプローチに奥行きをもたらしている。屋敷に向かって入って行くとヒンプンにあたる。そこで右に折れ、まずは庭に出ることになる。この家ではそこから左に少し上ると家の玄関に至る。視界がさほど長くない距離の間に次々と変わって行く。これは京都の禅寺などでも似たような手法が見られる。

家の周りは日本の本土と違って、白い砂が敷かれている。草木を生やさない。ここに本土の文化との違いを見ることができる。02

白い砂に反射した光が室内を明るくするという効果も狙ったのだろう。しかしその他におそらく、草木を生やしたならそれは制御不能のものとなり、あっという間にジャングル化するという南国の事情もあったと思う。 ハブのような危険な動物もいる。草がぼうぼうでは蛇が潜んでいても分からない事になり、危険だったであろう。

沖縄では自然は本土のように優しくない。沖縄が自然豊富で、人々は自然を友として生きている・・・というのはちょっと単純に過ぎる見方だと気づかされた。

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2007年8月19日 (日)

自由学園明日館/つづきのつづき

今日は8月19日だ。今月に入ってから、ブログを書くのに飽きてしまって、しばらく間を空けた。実は昨日、京都の実家からこちらに戻ったばかりだ。京都のことについて書く材料もあるが、自由学園明日館について今少し書き足しておこう。

明日館のホールで、俺は四半世紀も前のことを思い出していた。俺は語学研修のため確か5月の末に米国南部の田舎町を訪れた。それからの3ヶ月は多分、俺の人生における最も美しい日々だったろう。学校は深い緑に包まれており、夏の花は咲き乱れていた。空は青く、空気は澄んでいた。だのに時々激しい雷雨が襲い、そのあとは決まって日没前の太陽が南部の田舎町を赤く染め上げたんだよ。学校ではいろんな国の奴と話した。ドイツ、ベルギー、オランダ、メキシコ、コロンビア、ブラジル、台湾、韓国、そうそうガーナから来ていた奴とも仲が良かった。皆それぞれに魅力的だったし、第一若かった。Kちゃんだけじゃなく若い女の子も多かったからね、今思い出すとバラの花の香りにむせたような息苦しさを感じるよ。50過ぎたオヤジがね・・・。そうして8月の今頃にね、研修は終わった。俺は北へ、Kちゃんは西へ、他の仲間もそれぞれの目的地に向かって別れて行った。

05夢想にふけっていたのは、ほんの10分か15分のことだったであろう。 自由学園明日館のホールには、そういうセンチメンタルな思い出に浸らせる魔力のようなものが満ちていた。このホールの床は周りより40~50センチ下げられている。このホールの椅子に座ると、高い窓を通して目線は低く外の景色を眺めることになる。これはライトが仕掛けた建築的テクニックであろう。そのためかこの空間は、なにか『包み込まれる』ような安心感を与えているように思う。ライトは目線を低くすることによる効果を十分に意識してここに用いたに違いない。

06

窓の向うには、明日館の敷地境界沿いに植えられた桜が望まれる。これらの桜は竣工当時には無かったように思われるが、それにしても桜満開の頃は、縦長の窓から見える桜がこのホールを包み込み、この空間をまた一段と特別な時間の流れる場所にすることであろうと思われる。空間が詩を唄う時節が訪れる。桜の頃にまた訪れたいものである。

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