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2007年11月25日 (日)

11月の終わりに

勤労感謝の日から三連休となったが、勤労感謝の日は会社に出て少し仕事をした。そのせいもあってか、あまりゆっくり休んだ気がしない。色々と考えなければならないことがあり、頭の中が何かしら緊張状態にあるようで、こういうことではいけないのだが・・と思いつつも、その緊張が土日にも解けないでいる。

先週のことだが、UIA(世界建築家連合)東京大会のキックオフレセプションというのがあり、社長の代わりに出てこいと言われ、気が進まないまま出席した。やっぱり知っている人はほとんどいない状態で、しかも狭い会場の中に人が居過ぎ。こういうところに長居はできない。一通りの挨拶が終わり、例によって「ご歓談」となったが、ワイン一杯飲んでサッサと引き上げた。実行委員の代表は槙文彦氏。会場には冬柴国土交通省大臣、石原都知事などが来ており、それぞれに挨拶をされた。有名建築家の姿もあちこちに見かけた。こういう場所はやっぱり苦手だ。

石原都知事が挨拶に立って、「東京の街は(景観として)ひどいもんだよ。これをなんとかするのに、これから建築家の皆さん頑張ってほしい。旦那であるゼネコンの言いなりになってちゃだめだよ・・・」と、まあ正確な言葉は書けないが、そういう趣旨の話をしていた。認識違いは甚だしい。東京の街がひどいのはその通りだが、それをそうして来たのはゼネコンのせいばかりではない。建築家も随分手を貸してきたし、今もそうだ。第一、ゼネコンは建築家の旦那的立場にはいない。ちょっと失笑を買ってたなぁ。

建築家を下手に頑張らせない方が東京は良くなるのじゃないのか?・・・て、そういうことは言わん方が良いな。自戒。

石原さんはさすがに話が上手で、ユーモアたっぷり。面白かったよ。

会場に用意されたご馳走には手をつけず、会場である東京国際フォーラムを後にした。暑い夏が長かった今年で、秋も暖かかった気がするが、それでもこのところ寒くなって来た。北風を避けてか、電話ボックスに乞食が入ってうずくまっていた。携帯電話の普及で近頃は電話ボックスは使う人少ないみたいだけどね。

 木枯らしを 片目で睨む 乞食がいた

 電話ボックスの乞食黒ずむ 寒き夜や

久しぶりに句を読んだが、題が題だけにちょっと暗いか?まぁいいだろ、こういうのも。

昨日は歯を歯間ブラシで掃除していたら、奥歯の詰め物が取れてしまった。何という事だ。この忙しい時期に・・・。俺は歯医者が嫌いだ。嫌いな理由のその一番が、治療に時間がかかるということ。二番が治療費が高いということ。つまり、高い金を払い、貴重な時間を取られ(しかも体は動くのだから、仕事を休むことはできない)、痛い思いをする。これが好きな奴がいたらオカシイだろ。

Photo 実は俺は立教大学新座キャンパスからそう遠くないところに住んでいるのだが、そこに最近、「太刀川記念交流会館」という建物ができた。そばを通りかかった時に目についたので、妻に「なかなか良い建物のように見える」と言ったところ、後日彼女が、「お父さんが良いと言ってた建物、なるほどきれいな建物ね」と、俺の意見に賛成してくれた。妻がこのように建物の良し悪しが多少見えるようになってきたのは、ひとえに俺の教育のおかげである。

俺はなにも現代建築が嫌いなわけではない。むしろ大好きと言ってよい。だけどこの頃は、俺の価値観と違うものが随分増えているようで、それには正直不満がある。だけどこの建物はわりと俺の好みで、しかも良くできている。設計者はだれなのだろう?まだ、雑誌などには発表されていないと思うが。槙さんや谷口さんとは違うな。柳澤孝彦?あるいは竹中工務店のだれか?いずれにせよ、素材と言い、ディテールと言い、十分に練られた建物だと思う。ただし、裏側は左程でもない。正面ファサードの構成が秀逸。

以上、とりとめなく書いた。2007年11月の最後の日曜日である。

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2007年11月18日 (日)

吉田鉄郎の建築

先週のことだが、姉が大学の同窓会やなんやかやで東京に出てきた。日曜の夜には京都に帰るということで、帰る日の夕方に少し早い晩飯を丸の内のあたりで一緒に食べることにした。この頃は陽も早く沈むので、5時前にはもうすっかり夕刻の雰囲気だ。夕暮れの丸の内を少しの時間だが眺めまわした。この辺りはここ10年ぐらいで随分変わって、現代的なビルが林立する情景になっている。常日頃、俺は新しい開発を批判しがちなんだけど、丸の内周辺のこの変化は嫌いではない。東京の表玄関としての丸の内は、なかなか良くなってきたと正直思っている。これで東京駅の姿が建築当初の形を復元できれば、世界の他の大都市の表玄関と較べても、けっこう良い線行っているのじゃないかと思う。

Photo_2 昔の逓信省営繕部は今のNTTファシリティーズの源流になる組織で、山田守や岩元禄などの優秀な建築家を擁した名門である。吉田鉄郎もそうした建築家の一人で、東京駅のそばにある東京中央郵便局はその代表作といわれる。

この東京中央郵便局が取り壊されるかもしれないという話がある。建築学会などを中心に、保存の要望が出ているようだ。これについては、「残せるものなら残した方が良い」というのが俺の気持ちだ。どうしても残さねばならない・・・という程ではない。東京生まれの人間でないのでよく分からんのだが、これが無いと丸の内という場所のアイデンティティが損なわれるという・・・そういうことは無いんではないかと感じている。建築や都市に関係が無い人達もだいたいそういう意見なのではないだろうか。

建築の作品としてこれが名建築と言えるのか?・・・についても、正直、評価が難しいと思う。1931年に完成し、かのブルーノ・タウトがモダニズムの傑作と称えた・・というのだが、どうなんだろうね。このブログでは、自分の感覚でしか物を見ないことにしている。誰が何と言おうと、ピンと来ないものはピンと来ない。確かに悪くはないけれど、世界に目を転ずれば、1930年にはコルビジェ設計のサヴォア邸が完成し、1933年にはアルヴァ・アアルト設計のパイミオのサナトリウムがその美しい姿を現している。Cpscott この東京中央郵便局と同様のシンプルなグリッドによるファサード表現は、ルイス・サリヴァン設計の百貨店カーソン・ピリー・スコットに見られ、しかもどう見てもこちらの方が完成度が高い。カーソン・ピリー・スコットの完成年は1904年だ。

結局、当時の日本の近代建築のレベルはその程度だったのじゃないか・・・と思うんだ。ブルーノ・タウトが「モダニズムの傑作」と評したというのは、日本を案内してくれた吉田鉄郎に対する多分に社交辞令的なものだったのではないか・・・と疑えば疑える。

だから壊してよいとは思わない。この東京中央郵便局の建物が、丸の内という場所の記憶に重要な位置を占めているのなら、それはやはり保存の道をさぐるべきだとは思っている。

Photo

京都にも吉田鉄郎の作品がいくつか残っている。京都中央電話局上京分局は1924年の完成で、東京中央郵便局より古い。こちらは「カーニバル・タイムズ」という名前で、レストランおよび結婚式場として改修利用されている。中には入ったことないが、外を見る限り、鴨川にかかる橋のたもとに堂々とした存在感を示している。これは残したい。

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2007年11月 4日 (日)

京都という都市の生き方

一つのことに集中できないタイプの性格である。あれやこれやと手を出しては、中途半端に投げ出す。自分のことを言っているのだが・・・。だから大成しないのかもしれんな。

中学生の頃に、周りにギターを始める奴らがいる。それで俺もギターをやりたいと思ったが、どうもあの、コードを覚えてジャジャーンとやるのは好きじゃない。ナルシソ・イエペスの「禁じられた遊び」というのを聞いて、あーいうのをやりたいのだが、それならマンドリンで近い感じが出せるだろうと実に安易な考えで、親にマンドリンを買わせた。2ヶ月ぐらいは練習したが、まあ続いた方だ。それから、10年も経って、フランス人の友達がすばらしく上手にフルートを吹くのを聴いた。プロの音楽家でもない化学が専攻の男が奏でるメロディーに感動した。それでまた、親にフルートを買わせた。結婚した時に、これは持って行けと、親からそのフルートを押し付けられた。爾来、自分の家の押入れの奥にしまってある。当時10万もしたそうだ。このフルートはまともな音を出してもらったことが無い。「フヒェー」という、「風邪でもひいたんか、爺さん」みたいな音しか、ついに出してもらえなかったフルートが不憫である。

京都の景観というのは、俺のそういう苦い経験からすれば、集中すべきこの一点である。これをうまくやらなければ、京都は世界に誇れる街になれない。人の才能も様々、企業の持ち味も色々。小泉元首相も「人生いろいろ」と言ったではないか。都市も同じである。京都が東京になる必要は無い。むしろ京都が「他の街と違うところは何か?」をはっきりとさせ、そのことを自分達の強みとして育てていくのが、経営理論の教えるところである。京都が景観の問題でしくじれば、そう時間を経ずして、他所と変わらぬ「ただの人口100万都市」になるだろう(もうかなりつまらん都市になりつつあるのだろうが)。

01 朝日新聞2007年11月1日朝刊には京都に於いて、この9月に以前より厳しい「新景観政策」が開始されたことを報じている。これにより、京都市の市街地ほぼ全域で建物高さは31m以下(以前は45m)に抑えられる。市街中心部の幹線道路内側では更に厳しく、15m以下となる。また、市街地のほぼ全域を景観地区や風致地区に指定し、屋根は傾斜屋根として瓦か金属板で葺くことになる。これらの規制が、私の財産権を制限していることになるというのは、その通りだ。おそらく京都の住民の中でも、建設や不動産に従事している人はもちろん、自分の住んでいる土地の値段が下がると危惧する人も、この規制が京都の経済に悪影響を与えるだろうと批判するかもしれない。だが重ねて言うが、マクロ的に見るならば、京都の生きる道は、「その特色を強調していくこと」につきる。それがこの街のとるべき戦略というものである。

上の写真は西陣の中心部、大宮通沿いの街並みを撮ったものだ。観光客が訪れているのも窺えるが、街は古い町屋のデザインを踏襲したものから、新建材に覆われた建物まで混在しており、かなり混乱した印象を与える。遠くにはかなりの高さのマンションも見える。電信柱、電線の醜さはここでもひどい。

02

少し離れた場所には、このように新しい3階建ての木造住宅が並ぶ。住んでいる人達には悪いが、これら新建材で包まれた「新しいデザイン」の住宅は、まったくの景観破壊と言うしかない。写真ではこれらが古い街並みを侵食しながら建てられているのが見て取れるだろう。これらの新しい住宅も、新たな高さ規制、傾斜屋根の基準はクリアできる。京都市の新しい規制によっても、なお京都の街並みを守るのには不十分だと、俺が考える所以である。

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2007年11月 2日 (金)

謝らない日本の官僚

どうも日本の官僚は、「ごめんなさい。私共の誤りでした」と、言うのが苦手らしい。まあこれは日本の官僚に限ったことではないらしいので、役人という仕事がそういう人間を育てていくのかもしれない。俺の友人にも官僚がいるのだが、友人として付き合う分には優秀な気の良い奴らばっかりで、近頃の年金問題、薬事行政、あるいは建築行政の失態を見聞きするに付け、なんで優秀な奴らが寄り集まっていながらこういうことになるのか・・と、これは一つの謎である。

近頃は自分で役所へ行くことはめったにないが、昔は役所で役人と話して不愉快な思いをしたことは一度や二度ではない。役人と民間人が相対すると、役人の言うことは口から出たとたんに、その時その場では法律に準ずる言葉になる。戦前などと違い、役人と言えども最初から偉そうな口をきくのはさすがにあまりない。一応丁寧に挨拶はしてくれるが、一旦話し出せば、むこうは指導する人、こちらは指導される人だ。それを長く続ければ自ずと、自分が誤るなんてことはあり得ない気がしてくるのだろう。そうして謝ることもなくなる。いつでも謝る用意をしているような俺達民間人とは違う人種になっていくのだろうな。

11月1日の朝日新聞朝刊の第11面には、今年6月20日より施行された建築基準法等改正により、住宅着工件数が極端に落ち込んでいることを取り上げている。9月は前年比で44%の減であるが、10月は更に落ち込むかもしれない。こうなれば、実体経済に悪影響を与えるのは必至で、建物を建てるのに必要な時間が7、8ヶ月から長い時は2年ぐらいかかるのを考えれば、今直ちに着工件数が回復したとしても、その影響はこれから半年から1年以上も続くことであろう。確かに姉歯事件は建築の安全に対する信頼を大きく揺るがした事件であり、その再発防止のために建築確認審査などの審査システムを見直すことは、社会的な要請でもあっただろう。だが、この審査システムの極端とも言える厳格化が、実際には実行不可能に近いだろうという民間側からの意見を、国交省は結局、一顧だにすることなく、今回の無謀な改正施行に踏み切ったわけである。その結果、建築確認行政は恐ろしく不効率なものとなり、審査を通って着工に至る案件数が激減したわけである。本来、5年はかけて準備すべきほどの大改正を1年でやろうとした国交省の役人の頭の中は、「やれと指令を出しさえすれば、あとは民間はついて来る」という、民間の人間であれば信じられないような未熟な思考で埋められているのではないか。以下は新聞の引用だ。

経済同友会の桜井正光代表幹事は31日の定例記者会見で「建築基準法改正は、運用上では本当に耐震に影響するものから周辺に、何段階かに分けて広げていく(必要があった)。こういうことをやらないのは失政に近い」と国交省の運用のまずさを批判した。

このところ、国交省側も驚いて、建築確認審査における厳格化を緩和する通達を出している。少し客観的に見てみると実にぶざまである。しかも、それらの通達の中でも、彼らは「法改正の趣旨は理解された上で・・」と但し書きをつけたがる。端から謝る気は無い。「やろうとしたことは正しかったんだ」と言い訳をしつつ、「やりすぎないように」と、各都道府県に通達を出そうというのである。エエイッ!問答無用じゃ。

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