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2008年1月31日 (木)

茂木健一郎から教わる建築の意味

建築学会の機関誌は「建築雑誌」という名前で、「そのまんまやんけっ!!」というつっこみを入れる人は俺を始めとして約10万人いる。その雑誌がどうもあまり面白くない、かつ役に立たないという議論も相当あるようで、最新の建築雑誌は建築雑誌のあり方云々を論ずる特集であったように記憶する。記憶するだけで確かめようが無い。なぜなら、役に立たないので捨てたからだ。

すぐに捨てることの多い建築雑誌だが(ところで、ここでの建築雑誌は建築の雑誌という一般名称のことではなく、建築学会が出している機関誌であるところの「建築雑誌」という建築の雑誌のことだ)、どういうわけか古いものが残っていることがある。2005年10月号の建築雑誌が出てきたので、ぱらぱらとページをめくっていたら、寄稿者の中に茂木健一郎の名前を見つけた。脳科学者としての茂木健一郎は最近随分有名になって、テレビでもよく見る文化人になったが、2005年当時はまだそれほどではなかったと思う。有名になった茂木健一郎だが、俺は彼の書いた本を読んだことが無いので、何をする人なのかいまいちよく分からない。だが、この度発見した建築雑誌の中で、彼はとても面白いことを書いてくれているので要約して書きとめておこう。

まず彼は、1972年にローマにあるシンクタンク「ローマクラブ」が「成長の限界」というレポートを発表して、大きな反響を呼び起こしたことから論を始める。資本主義社会において経済成長が無限に続くというシナリオは、地球の自然のキャパシティが有限であることに着目すれば、いずれその限界に至るという、極めて当然と思える結論を、そのことから目を背けている人間に突きつけたのがこの報告書である。しかし茂木は、人間社会がより高度に組織化される中で、この単純なマスとしての限界は乗り越えてきたと言う。ところが、近年、いわゆるIT(情報技術)がポスト工業化社会を誕生させ、情報、知識を扱うこと自体が経済活動の主要な目的になってきたこと、そしてITにはローマクラブが指摘したような制約はもともと存在しないと思われてきたことを紹介した上で、しかし限界は思わぬところから顕在化して来たと言うのだ。

それは、人間の脳の情報処理能力、容量の制約による限界である

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今後、大容量のブロードバンドが普及し、テクストだけでなく好きな音楽、映像がインターネットをとおして容易に得られる時代が来たとしても、果たして私たちはそれを味わう時間と心の余裕を持つのだろうか。

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現在の状況は、過剰なデジタル情報が人間の脳の有限の可処分時間、可処分注意を奪い合う、情報過剰の時代への突入を予感させるのである。

この指摘は、俺も何となく心の底にあった「IT社会への疑念」に符合するもので、「なるほどそうだよな」と肯かせるものである。我々は今や情報の洪水の中ですでに溺れており、快適というよりもむしろオーバーヒートする脳の機能不全に悩まされているのではないか。それを俺は「情報過多に起因する精神の故郷喪失」と呼びたい。そして茂木は「最後の1メートル」について述べる。

一生を終えるときに、「ああ、毎日メールをたくさん読んで、ネットサーフィンして、いい人生だった」と思うのと、「毎日庭で草花の手入れをしていい人生だった」と思うのの、どちらがよいか。ムーアの法則に従ってデジタル情報が爆発的に増大したとしても、それに人間が付き合う筋合いは毛頭ない。

2002年にノーベル経済学賞を受賞したカーネマンらの「行動経済学」の研究の過程において、人間は、必ずしも外部的に規定された経済的合理性に従って行動するとは限らないことが示された。・・・

・・・検索エンジンをはじめとするウェブ上のデジタル情報からのマイニング技術は、論理的操作の積み重ねによって、人間にとって価値のある情報をユーザーのパーソナル・コンピューター画面まで持ってくる。しかし、ユーザーの知覚品質までの「最後の1メートル」をどのように設計するかによって、その情報が最終的に人間のよりよき生き方に寄与するかどうかは大きく左右される。

知覚というものが人間による情報の受容であるとすると、確かに機械的に膨大な量の情報を発信できるかもしれないが、その受容の段階では人間の脳という極めて情動的で限界のあるスクリーニングを経ることになるのである。この一連の機械・人間システムの中から良くも悪くも「生きている人間」という古い概念を排除することなど、そもそもできないのではないか。建築の側に引き寄せて考えれば、「ITが建築に影響を与えて、建築そのものの概念を覆す」と考えるのは、あまりに能天気な思考だと思えるが、どうだろう。茂木の論を追おう。

もちろん、われわれはITなしでは、もはや生きていくことはできない。人間がITに合わせるのではなく、ITの側が人間に合わせるように進化することによって、ITの「成長の限界」を乗り越えることは可能なはずだ。

建築もまた、今やIT抜きで考えることは難しい。しかし、建築は本来、人間の為にあるのであり、ITの為に変容していかねばならない義理は無い。建築を考える出発点は依然として人間であり、人間以外にあり得ないということになる。変わらなければならないのはITの方であって、人間がITの側に擦り寄ってどうする。

茂木はここで、彼の専門の脳科学の知見から、人間の情報認識は「クオリア」と呼ばれるある質によって行われていると述べる。それは心理学あるいは認識論に通ずる議論であり、脳を研究することで、哲学的思考が科学的に裏付けられているように思える。

私たち人間の意識のなかでは、すべての情報はある質感を持った「クオリア」(qualia)として認識されている。それが、シンボリックな記号であれ、抽象的な数字であれ、あるいは赤や青といった色であれ、ある情報が意識のなかで、他と区別される形でユニークに把握されるとき、それはひとつのクオリアとして立ち上がるのである。

そして、脳の中でクオリアが生成されるメカニズムを考えると、一つの重要な性質が指摘される。それは「クオリアの非可算性」である。

例えば、「メロンを食べる」という体験は、メロンの「香り」、「甘み」、咀嚼し、飲み込むときの「テクスチャ」のクオリアをそれぞれ単独で味わったものの単純可算以上の新しい質感をもたらしている。

建築、あるいは空間を体験することは、このようなクオリアによる認識の特性によりうまく説明されるように思う。建築の最も重要な部分は、技法的に考えるならば、造形ではなく組み合わせの妙味である。

短い論文の結論部分で、茂木は建築の可能性について、脳科学者の立場からエールを送っている。それは極めて示唆的で、また建築に関わる者に勇気を与える。長くなるが引用する。

・・・空間は、並列性を展開することが本来的なメディアである。空間の設いをその本分とする建築が、人間に固有のクオリア体験を与えるうえで特権的な可能性を占めていることは言うまでもない。

・・・・・

IT全盛の現在だが、人間の体験の質という視点から見たITの限界はすでに今ここにある危機である。この踊り場を乗り越えることは、空間設いのアートとしての建築がITにすり寄ることではなく、ITの限界を建築をはじめとする人間の全体性を扱う知恵が、発展的に補足することで初めて可能になる。

人間の内なる自然に論理的、シンボル的な演算を持ち込むという意味での陳腐な「サイバー」を超えた地点に、ITと建築融合の真の可能性があるのである。

茂木健一郎か、・・見直した。

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2008年1月20日 (日)

小堀遠州/建築家

先週のことだが、松屋銀座店の催場で小堀遠州の展覧会をやっていたので足を運んだ。NHKの日曜美術館で紹介されたこともあるのだろう、大変な混みようである。なかでも中年以上の女性の数が多い。そうして、展示物を見ていると、「ああ、これこれ高取よっ。いい形ね」などと、小声で、しかもサラッと話しているオバサンの会話が聞こえてくる。負けた・・。高取焼きってそんなに有名?俺は正直知らんかった。こんな会話ができるオジサンがどれほど日本にいるであろう。日本の中年女性の文化度は相当に高い。

日本の女性の文化度の高さを支えているのは、いわゆるお稽古事のシステムだろう。確かめた訳ではないが、お稽古事をやる女性の数は同年代の男性よりはるかに多いと思われる。お稽古事というのは一種の教育システムであり、それによって日本の古典文化などを学んでいけるようになっている。茶道は総合芸術だろうから、これを学ぶ女性が、いつの間にか陶芸や書画の知識を広めて行くのは当たり前である。俺が「やられた」と思ったオバサン達も、おそらく茶道を学ぶ方なのであろう。女性は仕事に就いている年代でもお稽古をする。一般論だが、仕事で時間とエネルギーを使い切ってクタクタの男性と比べ、女性の方が余力を残し、お稽古事にその余力をつぎ込むことができるのであろう。そういうことを何十年も続けた後、平均的な男性は濡れ落ち葉になって行く。日本の文化を下支えしているのが、こういう小堀遠州の展覧会などに大挙して足を運ぶオバサン達であるというのは間違いないだろう。

01で、小堀遠州のことである。

俺が大徳寺孤篷庵の忘筌を始めて訪れたのは、もう30年ほど前のことになる。そしてそれ以来、一度も訪れていない。だいたい孤篷庵は普段は公開していないので、特別公開の時を狙うしかないのだが、勤め人にはそのために会社を休み、わざわざ京都へ行くのは難しい。そうして30年ほどが過ぎた。だが、この孤篷庵忘筌よりの庭の眺め。建築をかじったことのある人なら知らないとは言わせない。それほどに有名な茶室であり、庭園である。

明治より以前、日本には西洋の建築家といういう概念にあてはまる職業はなかったのではないかと言われるが、小堀遠州だけは建築家という呼称が当てはまるように思う。この人はもちろん大工棟梁ではない。だが、この人が関わった建物や庭は、遠州好みという独特の美意識に、しかも遠州以前と較べて独創性あふれる美意識に統べられている。遠州抜きには成立しなかったであろう空間なのである。そういう意味では千利休も建築家であったと言えるが、利休があくまで茶道という枠の中で、その道具立てとしての茶室の建設に関わったの対し、遠州は作事奉行として城や寺、そしてもちろん茶室の建設という、幅広い用途の建設に関わり、また相当に建設そのものの知識を持った技術者であったということから、建築家という呼称によりふさわしいと考えるのである。

桂離宮も小堀遠州の作であろう・・というのは50年ぐらい前の学説で、今日では施主である八条宮智仁親王が直接の指示を与えたとする。小堀遠州が大工や庭師を差配したという記録がついに出てこなかったからである。であれば、桂離宮という日本建築の最高峰を生み出した建築家は八条宮になるが、実際のところ、桂離宮というのはいわゆる遠州好みが色濃く現れていて、「遠州が全く関わっていなかった」と断ずることがむしろ不自然に思えるのである。少なくとも小堀遠州が八条宮に相当のアドバイスを与えたのではないか。こういうことは磯崎新も言っていて、また八条宮と小堀遠州のつきあいがあったことは証拠もあることである。だから、やはり桂離宮造営における建築家としての一番重要な役割、つまり構想し、最も重要な細部について指示するという部分は、小堀遠州がたとえ口頭であれ八条宮智仁親王に伝えたことなのではないか・・と、俺も思うのである。

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2008年1月19日 (土)

娘の成人式に思う

1月14日は成人の日であり、我家の長女も成人式を迎えた。手塩にかけて育てた娘の成人式だからさぞ嬉しいかと問われれば、もちろん悲しいわけではないが、特別嬉しいと感じることもない。実に淡々とした気持ちである。父親などというのはそういうものではないのか・・と思う。成人した自分の娘を見て、「よくぞここまで無事に育ってくれた」と、感慨もひとしおである・・などというのは、昔から使い古された親の心の有難さを説く表現に過ぎぬような気がする・・ということを妻に言えば、「あなたは自分の子供が可愛くないの?!」と、叱られそうだから口には出さない。そしておとなしく、晴着に身を包んだ娘を成人式会場まで送り迎えした。

会場には多くの新成人が集まって来ていた。皆若い。あたりまえだが・・・。そうして思うのは、これからの日本を背負って行くこの方達の行く末である。俺も30数年前は若く、根拠の無い希望にあふれ、そして何も知らなかった。我が娘を含め、この若者達は、あるいは俺達世代が経験してきたよりも困難な社会を生きていかねばならないかも知れぬ。これから彼ら、彼女らが経験するに違いない労苦を思うと、ただ無邪気に「おめでとう」とは言えない。いや、それでも強く生きていって欲しいという願いを込め、またそのスタートラインに来た人達を激励する意味でなら、「おめでとう」と言っても良いのかもしれないな。何か変な表現だが。

我が娘よ、できることなら父はずっとお前が困ることの無いように見守り続け、つまづきそうになれば手を差し伸べて支えてやりたいが、そういう訳には行かない。よくぞこれまでよく笑う、屈託なく明るい娘に育ってくれた。だが、これから大変だぞ。父は、「お前にこれからの人生に幸多かれ」と、心底願うが、成人の日を迎えたことが嬉しいという気持ちはあまりない。それが父親というものなのではないか・・と思うのである。

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2008年1月 6日 (日)

2008年1月6日ようやく

年が明けて、今日が今年の最初の日曜日である。昨夜遅く、年賀状をいただいた方の内、こちらが年賀状を出していない方への年賀状20数枚をポストに入れた。これでだいたいこの正月の年賀状戦線は終結したはずである。深夜の街は交通量も少ない。一仕事終えた気持ちで、歩きながら深呼吸を繰り返した。年末から正月にかけて、毎日やらなければならない用事がある。ブログの方はしばらく手が付けられなかったなぁ。

2007_001この正月も京都に帰った。その証拠に写真を一つ載せておくことにする。大晦日の錦市場だ。錦市場と言えば、日本でも最もはやっている商店街ということになる。この写真は御幸町通りから撮ったもので、錦市場の東の入口になる。この中へ入って行くと大変な人出で、まさにイモを洗う状態になる。ここへは正月に使う鰹節を買いに来た。小ぶりなものを選んで買ったが、一本2520円もした。錦市場はちょっと値段高めだ。これは錦市場というブランド料らしい。はやらない商店街からすれば、実にうらやましい話であろう。2007_003

もう一枚の写真はそこで売っていた白みそを撮っている。京都では正月は白みそ雑煮を食べる。味噌の味が決め手で、だから味噌がミソなのだ。良い白みそを使った雑煮は実に美味いもので、京都の雑煮がやっぱり俺には一番美味い。これを手前味噌と言う。

慌ただしい帰省であった。1月3日にはこちらに戻って来た。家族4人と1匹なので車で移動する。それが一番安いからだが、運転手を務める俺は、目一杯疲れる。3日の日は神奈川まで戻ってから、大きな事故渋滞に巻き込まれた。たった20キロを抜けるのに2時間以上もかかった。途中でも渋滞に会ったから、京都の家を出て、埼玉の俺の家に帰り着くのに都合12時間かかったのだ。途中休憩も入れてだが・・・。調子よく走れる時は7時間ぐらいだ。今回は疲れた。だから今、こうしてブログ記事を書いているのは、本当に「ようやく」という感じなのだよ。

さて、次回からまた少し建築について論考しようと思う。今日のNHKの日曜美術館という番組で小堀遠州のことを取り上げていた。小堀遠州。実にすごい建築家にして造園家、かつ先進的茶人にして有能な官吏(作事奉行)である。この人の残したものをテレビで見ていたら、建築における自由についてもう少し書いておきたくなった。つまり建築は自由である・・ということについてである。

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