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2008年6月28日 (土)

50 Years After 1960/巨大高密度都市は誤りか?

朝、テレビを見ていたら、ドバイの若い夫婦の生活を紹介していた。夫は28歳の建築家、妻は22歳。住んでいるマンションは170㎡の3LDK。現代的なインテリアで、高そうな家具やアートに彩られている。おまけに彼は現在、別に自邸を設計中だ。というのも、ドバイでは18歳になる男子には国から100坪ほどの土地が与えられる。彼はすでに土地を有している。このような特権はもちろんドバイ国民のためのもので、他国から出稼ぎに来ている人々には関係の無い話である。そういうことに、俺はなんとなく嫌な感じがした。まだ28歳の、青二才と言っていいような若造が、何の努力もしないうちに、日本だったら大金持ちというような生活を手に入れる。「これで良いのか?」という気持ちを持ったのは倫理的なものだ。もっとも、彼の妻が超美人だということは認めよう。

八束はじめ氏の小論、「50 Years After 1960」の解読を続ける。

BIGNESSは建築家の意図=コントロール可能性を超えている-だからBIGNESSとは都市とほぼ同義語だ-と主張するコールハース・・・

丹下の東京計画1960にせよ、磯崎の丸の内空中都市計画にせよ、丹下やその弟子達が提示したのは「巨大な」都市の構想だったと思うが、今日の東京はそれらの構想をなぞっている。高密度、高層化した都市はかつての建築家(それも丹下をはじめとするスター建築家の)夢だったのではないか?それなのに、今現実に東京に出現している巨大高密都市を、建築家の側が批判しようとするのは筋が通っていない。

丸の内の最初の超高層は前川國男の東京海上火災ビルだが、これを皇居を見下ろすという理由で政治的干渉が行われ上部をカットされた時に一斉に抗議の声を上げたのは建築界ではなかったのか?

思うに、建築家の側がこれらの巨大高密都市のコンセプトに今さらながら反対するとすれば、その最大の理由は、「彼らがもはやこのことに影響力を持たない」ということであろう。主役は彼らではない。

もちろん、このような状況に何の問題も無いわけではない。東京への集中は加速し、地方は過疎化する。東京の一人勝ち。しかし東京の人々が幸せ・・という訳でもない。だからといって地方への拡散を政策的に行うことが正しい選択なのだろうか?八束はむしろ巨大高密度のモデルの可能性に乗ろうとする。

コールハースは、BIGNESSに乗るのはそこにエベレストがあるからという登山家と同じ理由しかないという。・・・・

・・それ(巨大高密度都市)が例えばコンパクト・シティやサスティナブル・コミュニティという別種の仮説より望ましい未来を示すものかどうかという議論をしようとも思わない。それらに根拠がないともいわないが、これを議論の余地のない前提と見なすことにも同意しない。それらの仮説に胸ときめかないことは正直に認めよう。

そして八束は、1960年に丹下が東京計画1960を提出したように、東京計画2010を提出することに意義を見出さない。

私たちの研究はあくまでリサーチである。デザイン中毒者たちが望むかもしれないように、「東京計画2010」を立てるつもりはない。提示されるのはあくまで「可能態」(ありうる姿)であり、最終の姿(あってほしい姿)ではない。50年後の今の時期の流行の建築語彙に置き換えただけのデザインが相応しいとは思えない。何でも形の問題にしてしまい、それを正当化したがる建築家の習性は嘆かわしい。

では巨大高密度都市の存在理由とは何なんだろう。リサーチはそれを立証するのだろうか。

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