自分は何者かという問い
今年も残り少なくなってきた。日曜日の朝、いつものように樹林公園へ出かけた。美しい日曜日である。Beautiful Sundayというやつだな。この時節の太陽の光が好きだ。見損ねたフェルメール展だが、フェルメールの絵に描かれる光って、こんな光じゃないだろうか。
「眼の人か耳の人か」って聞かれたら、俺は多分「自分は眼の人だ」、と答えるだろう。そのことが若い頃、進路選択をする時期になって、建築に進みたいと思った理由の一つだろうな。今年亡くなった黒川紀章氏の影響も大きかった。40年ぐらい前になるのだろうか、テレビでしばしば「新進気鋭の若手建築家」として紹介された氏は、晩年の変なオヤジ的印象とはかなり違って、実に知的で洗練された雰囲気を漂わせていた。黒川さんの師である丹下健三などもテレビで見た記憶があるが、サルっぽい感じで、すごい人なんだろうけど、俺には黒川さんの方がかっこよかった。
高校3年の夏休み前頃、担任の先生から医学部進学を勧められたが、もうはっきりと建築科に行こうと思っていたので、気持ちを変える事は無かった。先生の勧めに従っていたら今頃どんなふうだったろう。自分で言うのもなんだが、俺はブログ上でこそ傍若無人な物言いだけど、実際には人当たりの良い人間である・・と俺だけ思っているのかな?だから結構良い医者になっていたんじゃないだろうか。地元で評判の医者で、けっこうな金持ちになってたかも知れんな。この道を選んだおかげで、金の苦労も含めて、いろんな厳しい状況を経験することになった。・・・それでも建築の道に進んだのは、自分という人間には合った職業選択だったんじゃないかと、今も思っている。
黒川紀章のような建築家になることを思い描いて選んだ進路だが、今の自分は相当に違う場所にいる。アトリエ事務所と組織事務所のもっとも大きい違いは、アトリエ事務所はいかに組織が大きくなっても一人の(または複数のコアとなる)建築家の構想する建築を実現するべく運営される組織であるが、組織事務所では地位が上れば上るほど、建築の設計からは遠ざかり、組織を運営するマネージャーにならざるを得ないんだな。いわば企業化していくのである。そういう意味では今の自分は、むしろマネージャー、組織管理者として自分を規定するのが正しいと思っている。そしてそういう組織管理者としての役割も、終わりに近づいている、少なくともフェーズが違って来るだろうという気がする。それは悪くないことだ。
俺はもはや、若い頃そう思ったように、「黒川紀章のようになりたい」と思うこともないし、例え若い頃に戻ったとしても多分そう考えないだろうという気がする。すっかり黒川紀章的なものから興味を失ってしまった。この40年で自分も変わったのだと思う。ただ自分は眼の人である。建築なるものを考えること・・そのことは俺の喜びである。その建築の道に進む大きなきっかけとなったのは黒川紀章という人であったことは間違いない。その人が亡くなって早1年以上が経ち、今年も暮れようとしている。
ごちそうが様々に目の前に並べられると、嫌いなものから先に食べる性分だった。その性格は大人になっても変わらず、あまりやりたくないことからやる癖がある。損な性分かもしれない。でもどうなんだろう、やがて冬が近づくその時に、「俺は嫌いなものはすべて片付けてきた」、と考えるのはそんなに悪いことではない。楽しいことが残されている・・と思うのは甘いか。
見ることと精神が分かち難くこの世界に織り込まれている。そのことが建築の故郷であり、仮にそうでないと言う人がいたとしても、もはや俺には関係ないことである。
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