2008年5月10日 (土)

我が身体

一昨日のことだが、人間ドックを受けた。予想した通り、腰周り95センチを計測し、問診の医者から「どう思われます?」と聞かれたから、「立派な数字ですね」、と答えた。この医者はこの検診センターの専属で、女医である。毎年決まったように、「体重を減らす必要があります。毎日運動をしてください」と言う。ある時など、「ちょっとぐらい食べなくとも死にゃぁしませんから」、と言われた。しゃらくさい女である。

01 こっちだって何もしていない訳ではない。最近では休みの日の朝早く、自転車で和光市の樹林公園まででかけ、そこで柔軟体操とジョギングをするようにしている。さほど効果が出ていないのは冒頭の通りだ。

子供の頃、運動が苦手だった。体が小さかったこともあるのだが、小学校3、4年の頃から太りだして、6年生の頃は立派な「小太り少年」になっていた。体育の時間が内心は嫌で、ある時などドリブルを上手にできない俺を見て、「豚が饅頭を追いかけているみたいだ」と笑う友人がいた。それでもひがむことなく、そいつのことを許し、明るい好青年に育っていった。立派なものである。

水泳の北島康介なんかがテレビの画面に出てくると、男の俺でもその美しい肉体に感心する。休日の朝の運動を終え、家に帰ってシャワーを浴びながら、俺は自分の腹の脂肪を手でつまみ、彼と我との差を推し量る。「あぁ、この脂肪を取りたい!」でも、食べるのは止められない。ただ、運動した後のシャワーは気持ちよい。

樹林公園の森に佇み、俺は、木や草や、それらを顕わにしている光を見る。そしてそれを見ている自分を意識する。あぁ、こういうことか・・・と思う。こういうことかというのは、メルロ・ポンティの「眼と精神」の中に書かれていたようなことだ。

謎は、私の身体が<見るもの>であると同時に<見えるもの>だという点にある。・・・

見えるものであり、動かされるものである私の身体は、物の一つに数え入れられ、一つの物である。私の身体は世界の織目のなかに取り込まれており、その凝集力は物のそれなのだ。・・・

世界は、ほかならぬ身体という生地で仕立てられていることになるのだ。・・・

正確に言うなら、俺は建築というものが重要だと思ってはいない。ただ、人間というものが世界と関わるその関わり方の一つの方便として、建築という行為はその正統性を主張できるかもしれないとは思っている。

シャワーを浴びている時に俺の両手につままれている俺の脂肪は、しかし決して俺の身体から簡単に離れるつもりはないようだ。

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2008年4月12日 (土)

桜咲く頃のこと

メタボ検診なるものが始まるらしい。まことにおせっかいなことである。ウェストサイズ85センチ以上が成人病予備軍だとして、あれこれと指導を受けさせられるらしい。昨年、大学建築学科の同窓の輩がたて続けに2人亡くなった。まだ50代半ばである。2人とも俺よりはよほど痩せていたが、命の炎は早く燃え尽きてしまった。どうもウェストサイズ85センチなどというのが健康のバロメーターだというのが納得いかない。これを超える男性が病気になり易いなどというのが統計的に証明されているのだろうか。反対を唱える医師もいるということではないか。・・・などと言っても、犬の遠吠えである。

健康の為に、休みの日は自転車で遠出することにした。そのために自転車も買い換えた。そんなに高級なやつではないが、一応21段変速のギアがついている。風を切って走る感覚が快適で、これに乗って休日に走るのは楽しくないこともない。先週の日曜は天気もよく、朝から大宮の方へ出かけた。

200801しばらく走ると田畑もある。桜は盛りを少し過ぎているが、まだまだ見ごろである。この小川は用水路か?水面に映る桜がずっと向うに続く。かみそり護岸はいただけないな。その上の青く塗られた金網フェンスはなおいけない。転落防止のために・・というのは分かる。でもこういう方法しかないのだろうか。見慣れてしまえばどうということはない・・・か。安っぽい解決策に走る国民性が悲しい。

だが桜は美しい。この辺りは初めて来た場所だ。真っ直ぐな用水路、その水面に映る青い空と桜の並木。この季節、この花は醜い日本をそれでも慈しむがごとくに咲いてくれる。

 ゆくりなき 郷の桜を 訪ねけり

生まれ故郷の京都を離れ、関東に住まうようになっていつの間にか四半世紀。子供達はこちらで育ち、上の子は成人を迎えた。今でも俺にとっては京都が故郷だけれど、あと10年もこちらで暮らしたら、ことさら京都へ帰る気持ちは失せるかもしれないな。それも自然の成り行きだが。

200802

川の土手に咲く桜。実は、こういう景色は俺にとって日本の原風景で、だからこれは「俺が久々に見た日本の景色」という感じなのである。うららかな日差しの下、土手の桜はただ咲き、ただ散り行く。これを思うときの不思議な安らかさはどうだ。

 一山の 花を飾りし 小川かな

日本人はあちこちで日本の国土を雑然とした風景に作り変えてきたが、どういうわけかその代償行為として桜を植えてきたように思える。それで、こうして休みの日にちょっと自転車で遠出すると、有名では無いけれども十分美しい桜の花に出会えるのである。こういう田園風景の中の桜を愛でながら、ゆっくりとペダルを漕いでいると、「ああ、日本人でよかったな・・」と思えて来るので、俺も相当に単純な人間である。

200803

土手に上がり、桜並木にそって進む。これだけの見事な桜だというのに、それほど人に出会わない。日曜日の朝まだ早いからか?でもいいなぁ。贅沢だなぁ。金も使わずにこういう気分を味わえる。休みの日といえど早起きしてみるものである。

 陽の在り処 土手の上なる 桜木の下

メタボ検診、俺の場合かなりきわどい。

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2008年3月16日 (日)

2008年3月16日/京都より戻る

Xivバイキング料理を食った。それも相当に豪華なやつである。左の写真は俺が自分のためにまず取り揃えた料理の皿である。大皿には酢豚、蒸し鶏、くらげの酢の物がのっている。バイキングだから自分で皿に盛った。このような時にも美しく盛る。欲しいだけ山のように皿に盛って来るような、はしたないことはしてはいけない。 酢豚がよくできており美味かった。黒酢を用いてある。豚肉が香ばしく、プロの技が生きている。左端の小皿にあるのは生麩の田楽だ。これもなかなかのもので、舌を楽しませてくれた。写真には写ってないが、冷えた生ビールのグラスがこれらの横に鎮座している。こうして俺は、前の席にいる妹の旦那や横にいる姉とグラスを合わせた。「チーンッ」。それはその後2時間におよぶ晩餐の、まさに開始のゴングとなるのである。「もうこれ以上無理だ・・」と、胃が叫ぶまで・・・。

実は金曜の夜に京都の実家に帰った。正月以来である。今日、3月16日にこちらに戻ってきた。今回は2泊しただけで、慌ただしかったのだが、たまたま妹夫婦とその子供達も土曜日に訪ねて来ることになっており、母が手配して八瀬の方にあるホテルのバイキング料理を申し込んだのである。随分と張り込んだものである。

今回の記事はこれまで。今日の昼頃には再び関東に戻るために京都駅へ向かったが、その途中、同志社大学の今出川キャンパスを訪れた。美しい煉瓦の建物がいくつかある。写真を撮ったので次回の記事に載せようと思う。

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2008年2月10日 (日)

朝飯そして天才舞踏家のこと

三連休の真中の日曜日である。会社の俺の部署の者達は、今日も何人かは仕事に出ているだろう。そのことが気がかりである。連日の長時間労働を続けなければこなせない仕事の量と期日。それにも関わらず、意外と低賃金の業界である。そういうことに俺は、怒りに近いような感情を持つ。そしてそう感じること自体がすでに俺のストレスの種になっている。

2008210 とは言うものの、俺自身はこの三日間は職場へ行かない。日曜日の今日も朝7時ごろまで寝ていた。普段は5時半の起床だから、7時に目覚めるのは俺にしては遅い目覚めだ。それから犬の散歩、犬の餌づくりなどをして、やっと自分の腹もすいてくるので自分の朝食をしたくする。日曜日などは家族もてんでばらばらに朝飯を食う。ほとんど一緒には食べない。

左の写真、青い皿の上に載っているのはキャベツのおひたしに鶏ささ身の酒蒸しのっけだ。俺がけっこうよく作るおかずで、昨日の夕食に作ったものの残りを盛った。黒胡椒を上からかけることで風味が良くなる。メインはビーフシチューでこれも昨日の残り。ビーフシチューはデミグラスソースから作る・・・というのは真っ赤な嘘で、もちろん市販のビーフシチューのルーを使う。ただ牛肉は近くのスーパーから豪州産のスネ肉を買ってきて、赤ワインで数時間煮る。これが柔らかくなって、しかしスネ肉のスジ状の感触が残り、肉食ってるぞー、という食感が良い。右上のヨーグルトは缶詰の桃の上にのっけている。ご飯は上に乾燥わかめを振ってある。富山の名産で、人からもらった。香ばしくてけっこううまい。左上のビンは、わかめの茎の佃煮で、上野のなんとかいう店のものだ。これも人からもらった。もらって言うのもなんだが、この店の佃煮はあまり美味しくない。俺から言わせると、味が工業生産品になっている。店の名前は有名なんだろう。だが店の名前だけで売っている感じがする。それで、デパートとかを通じてある程度売れるのだろう。しかし、俺のような食通の舌をごまかすことはできないよ・・・などとつぶやきながら、朝食をいただく。けっこう豪華でしょ。

昨夜のテレビでだが、またまたすごい人のことを知ったなぁ。ヤン・リーピンという中国少数民族出身の女性舞踏家だ。こういう人を真に天才と言うのだろう。インターネットで調べた。いくつかの動画もある。それだけでもかなり感動できる。3月の渋谷Bunkamura日本公演、行きたいと思ったが、どこを探してももうチケットは完売している。あぁ残念だ。

小堀遠州について書こうと思って、またも別のこと書いてしまったなぁ。やっぱり、ブログは第一義的には日記だからね。次回は必ず小堀遠州について書こうと思う。

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2008年2月 3日 (日)

雪の日/オヤジの気持ち

080203左の写真は部屋から見える外の景色である。今日はこの冬初めての積雪を見た。

子供の頃には気持ちが解らなかったが、大人になって、それもこれぐらいの歳になって解ることがある。カイロを身に着けるという行為もその一つだ。

親父が冬の朝、カイロに火をつけて布袋に包み、懐中に入れて外へ出て行くのをぼんやりと覚えている。最近は使い捨てカイロがあるので便利だ。俺も毎朝、シャツの上から貼り付けて仕事に出かける。ずっとつけているので、その内に何となく低温火傷状態になり、便所に入って位置をずらす。オッサン臭いこの行為を、そう自覚しながら止めることができない。これを止めると困ることがある。腹の具合が悪くなるのである。

この時期、カイロを忘れて出勤すると、通勤電車の中ですでにヤバイ状態になる。胃腸の働きが悪くなるのだろう。それが既に歳がいった証拠だと思うが、腹にガスが溜まってくるのだ。これを電車の中で音をさせずに静かに体の外へ出すには、相当の熟練が要る。更に、うまく人に気づかれぬようにガスの排出に成功したとしても、臭っていないかどうか気になる。周りがオヤジばかりならどうということもないが、若い女の子がいる時は何となく申し訳ない気になる。だからこの時期、カイロは離せない。

ただ窓の外を眺めて、暖かい部屋の中にいられるのはありがたい。今日はカイロもせず、家の中で遠慮なく屁を放つ。もはや家族は気にも留めない。臭いがしなければ・・という話だが。

 屁を放つ 我は男子に 生まれたり

いろいろ考えることもあるが、今日はこのあと少し読書をし、また買い忘れの食材を買いにでかけるだろう。そして夕食の支度をする。ブリが買ってある。ブリの照り焼き、そして酒粕汁。

 雪の日は いざ粕汁を したくせむ

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2008年1月19日 (土)

娘の成人式に思う

1月14日は成人の日であり、我家の長女も成人式を迎えた。手塩にかけて育てた娘の成人式だからさぞ嬉しいかと問われれば、もちろん悲しいわけではないが、特別嬉しいと感じることもない。実に淡々とした気持ちである。父親などというのはそういうものではないのか・・と思う。成人した自分の娘を見て、「よくぞここまで無事に育ってくれた」と、感慨もひとしおである・・などというのは、昔から使い古された親の心の有難さを説く表現に過ぎぬような気がする・・ということを妻に言えば、「あなたは自分の子供が可愛くないの?!」と、叱られそうだから口には出さない。そしておとなしく、晴着に身を包んだ娘を成人式会場まで送り迎えした。

会場には多くの新成人が集まって来ていた。皆若い。あたりまえだが・・・。そうして思うのは、これからの日本を背負って行くこの方達の行く末である。俺も30数年前は若く、根拠の無い希望にあふれ、そして何も知らなかった。我が娘を含め、この若者達は、あるいは俺達世代が経験してきたよりも困難な社会を生きていかねばならないかも知れぬ。これから彼ら、彼女らが経験するに違いない労苦を思うと、ただ無邪気に「おめでとう」とは言えない。いや、それでも強く生きていって欲しいという願いを込め、またそのスタートラインに来た人達を激励する意味でなら、「おめでとう」と言っても良いのかもしれないな。何か変な表現だが。

我が娘よ、できることなら父はずっとお前が困ることの無いように見守り続け、つまづきそうになれば手を差し伸べて支えてやりたいが、そういう訳には行かない。よくぞこれまでよく笑う、屈託なく明るい娘に育ってくれた。だが、これから大変だぞ。父は、「お前にこれからの人生に幸多かれ」と、心底願うが、成人の日を迎えたことが嬉しいという気持ちはあまりない。それが父親というものなのではないか・・と思うのである。

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2008年1月 6日 (日)

2008年1月6日ようやく

年が明けて、今日が今年の最初の日曜日である。昨夜遅く、年賀状をいただいた方の内、こちらが年賀状を出していない方への年賀状20数枚をポストに入れた。これでだいたいこの正月の年賀状戦線は終結したはずである。深夜の街は交通量も少ない。一仕事終えた気持ちで、歩きながら深呼吸を繰り返した。年末から正月にかけて、毎日やらなければならない用事がある。ブログの方はしばらく手が付けられなかったなぁ。

2007_001この正月も京都に帰った。その証拠に写真を一つ載せておくことにする。大晦日の錦市場だ。錦市場と言えば、日本でも最もはやっている商店街ということになる。この写真は御幸町通りから撮ったもので、錦市場の東の入口になる。この中へ入って行くと大変な人出で、まさにイモを洗う状態になる。ここへは正月に使う鰹節を買いに来た。小ぶりなものを選んで買ったが、一本2520円もした。錦市場はちょっと値段高めだ。これは錦市場というブランド料らしい。はやらない商店街からすれば、実にうらやましい話であろう。2007_003

もう一枚の写真はそこで売っていた白みそを撮っている。京都では正月は白みそ雑煮を食べる。味噌の味が決め手で、だから味噌がミソなのだ。良い白みそを使った雑煮は実に美味いもので、京都の雑煮がやっぱり俺には一番美味い。これを手前味噌と言う。

慌ただしい帰省であった。1月3日にはこちらに戻って来た。家族4人と1匹なので車で移動する。それが一番安いからだが、運転手を務める俺は、目一杯疲れる。3日の日は神奈川まで戻ってから、大きな事故渋滞に巻き込まれた。たった20キロを抜けるのに2時間以上もかかった。途中でも渋滞に会ったから、京都の家を出て、埼玉の俺の家に帰り着くのに都合12時間かかったのだ。途中休憩も入れてだが・・・。調子よく走れる時は7時間ぐらいだ。今回は疲れた。だから今、こうしてブログ記事を書いているのは、本当に「ようやく」という感じなのだよ。

さて、次回からまた少し建築について論考しようと思う。今日のNHKの日曜美術館という番組で小堀遠州のことを取り上げていた。小堀遠州。実にすごい建築家にして造園家、かつ先進的茶人にして有能な官吏(作事奉行)である。この人の残したものをテレビで見ていたら、建築における自由についてもう少し書いておきたくなった。つまり建築は自由である・・ということについてである。

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2007年12月15日 (土)

2007年12月15日天気晴朗にして

実はこのところブログを書くのがしんどいのである。「しんどい」というのは関西の言葉で、疲れる、つらい、という意味である。理由は二つあって、一つはとにかくやらなければいけないことがたくさんあって、時間が無いということ。もう一つは書くネタが無いということである。二番目の理由は更にその理由があって、外をぶらぶらと出歩かないからネタが拾えないということである。それというのも時間が取れないからだから、結局は時間が無いということに収斂してしまう。ネタがなければ同じようなことを繰り返すしかないので、これは俗に言う繰言ということで、症状としてはボケ老人に近くなる。俺はまだボケるほどには歳をとっていない。時々知っているはずの人の名前が出てこないことがある。それはたいがい前の日に飲みすぎた酒のせいで、歳のせいではない。朝、降りるべき駅で降りず、二つほど過ぎた駅でそのことに気が付く、いや正確に言えば目覚めることがある。それは降りるべき駅の三つ手前で、立っている俺の前の席に座ってた奴が電車を降りたためである。立っている自分の前の席が空き、そこに座る。日頃の仕事で疲れている俺がそこでついウトウトと寝てしまったところで、誰が俺を責められるだろう。据え膳食わぬは男の恥、空き席座らぬはオヤジのやせ我慢である。

ネタが無いので読んだ本のことなどを書くことになる。あの本について書こうか。あの本とはアレックス・カーの「犬と鬼」のことだ。これはちょっと根性が要る。今はやめとこ。もうちょっと気力が充実している時に書こう。

Photo写真一枚載せとこう。

鳥越神社の近くで撮った。撮り貯めた写真の中の一枚だ。こういう街の風景がなかなかにすごい。それにこの建物、うまく再生すれば人を呼べそうじゃないか。

こういうのが古い建物、無名の建物の力というものだね。ゲニウスロキ。地の霊よ目覚めよ、目覚めて再び時を刻めよ。

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2007年12月 8日 (土)

東京中央郵便局について追記

少し前に、保存が取りざたされている東京中央郵便局の建物について書いたが、その後、朝日新聞に少し詳しい記事が出ていたので、それについて記録しておく。

記事が出ていたのは11月27日の朝日新聞朝刊である。「名建築・東京中央郵便局舎に超高層化の危機」と題されている。

この建物の保存云々のことが話題になったのは、この建物を壊し、高さ200メートル、床面積約19万平方メートルの超高層ビルを建設しようという計画が、日本郵政から発表されたことに端を発しているようだ。そして日本郵政は郵政民営化で誕生した会社であり、つまり名建築・東京中央郵便局舎の危機は、小泉改革の波によって迎えた危機だということになる。だが、朝日の記事によれば、この新ビル建設には870億円の資金が必要とされており、その資金の多くは借金で賄うという、かなりリスクの高い事業らしい。だから、自ら巨大ビルを建てるより既存の建物を保存し、空中権つまり余剰の容積率(その土地で法的に建てられる建物の床面積の余り)を他の近隣ビル建設に転売すれば、日本郵政自身はリスクを負わず、確実に収益を得られる・・・というのが朝日の記事の論調である。

日本郵政は民営化後、不動産ビジネスに意欲満々で、三井不動産と三菱地所から人材を迎えたということだ。東京駅周辺では幾つかの新しい高層ビルがここ10年の間に次々と建っている。最近できた新丸ビルでは家賃が坪あたり5万~6万円とも聞く。この家賃相場が本当であり、今後もこの家賃相場で推移するなら、借金してもビルを建てることは経済原則にかなっている。加えて、東京駅周辺では既に丸ビルや新丸ビルなど次々に建物が建てられ、日本郵政が空中権を転売しようにも、それを買ってくれる適当なビル建設計画が中央郵便局舎の敷地周辺にはもはや残っていないのではないか?・・と思える。このビジネスが本当に危険なのか、あるいは金の卵を産む鶏であるのかは、この新聞記事から簡単に読み取れない。

この朝日の記事からもう一つ知ったのは、吉田鉄郎設計のこの東京中央郵便局舎を褒めたとされるブルーノ・タウトの言葉だ。「明朗で純日本的」「西洋の有名な建築の後塵を拝している点はいささかもない」と評したとされる。おそらく、当時の日本の建築の中では、非常に清新な雰囲気を持った建物であったのだろう。そのことは現在この建物を実際に見ても感じられることである。だが、西洋の有名建築の後塵を拝していないまでも、先頭集団に入っているとも思えない・・・という俺の評価は変わらない。ようやく、日本の現代建築がこういうモダニズムの表現を破綻なくこなせるようになった・・ということを、タウトは評価したのではないだろうか。

建物に対する評価とは別に、俺自身はこの東京中央郵便局舎は保存した方が良いと思う。だが、その一番の理由は、ここに超高層ビルが建つことによって、東京駅の景観が損なわれるということである。単体の建物の保存問題として論ずるのではなく、東京駅周辺の景観がどうあるべきか・・・という議論があってしかるべきなのではないか。そういう議論が聞こえてこないのはどういうわけなんだろう?

以上、朝日新聞の記事を読んで考えたことをダラダラと書いた。

ここのところ、またひどく忙しいのだ。年末だからね、いつものことである。こういう時は、慌てず、一つ一つ着実に片付けていくのが良い。焦ってはいけない。平常心これ道なり。朝にはこのように思う。しかし夕方には何も片付いていないのに気が付く。いやいや、片付いていないのは俺の段取りが悪いからである。明日には体勢を立て直し、ふたたび平常心を取り戻すであろう。そうして一週間は瞬く間に過ぎ、やはり何も片付いていない。これは俺が時間を使うことにまだまだ未熟だからだ。週末の深い反省の基、来週には一つ一つ片付けるであろう・・・。あぁ、そうして年末が過ぎていく。

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2007年11月25日 (日)

11月の終わりに

勤労感謝の日から三連休となったが、勤労感謝の日は会社に出て少し仕事をした。そのせいもあってか、あまりゆっくり休んだ気がしない。色々と考えなければならないことがあり、頭の中が何かしら緊張状態にあるようで、こういうことではいけないのだが・・と思いつつも、その緊張が土日にも解けないでいる。

先週のことだが、UIA(世界建築家連合)東京大会のキックオフレセプションというのがあり、社長の代わりに出てこいと言われ、気が進まないまま出席した。やっぱり知っている人はほとんどいない状態で、しかも狭い会場の中に人が居過ぎ。こういうところに長居はできない。一通りの挨拶が終わり、例によって「ご歓談」となったが、ワイン一杯飲んでサッサと引き上げた。実行委員の代表は槙文彦氏。会場には冬柴国土交通省大臣、石原都知事などが来ており、それぞれに挨拶をされた。有名建築家の姿もあちこちに見かけた。こういう場所はやっぱり苦手だ。

石原都知事が挨拶に立って、「東京の街は(景観として)ひどいもんだよ。これをなんとかするのに、これから建築家の皆さん頑張ってほしい。旦那であるゼネコンの言いなりになってちゃだめだよ・・・」と、まあ正確な言葉は書けないが、そういう趣旨の話をしていた。認識違いは甚だしい。東京の街がひどいのはその通りだが、それをそうして来たのはゼネコンのせいばかりではない。建築家も随分手を貸してきたし、今もそうだ。第一、ゼネコンは建築家の旦那的立場にはいない。ちょっと失笑を買ってたなぁ。

建築家を下手に頑張らせない方が東京は良くなるのじゃないのか?・・・て、そういうことは言わん方が良いな。自戒。

石原さんはさすがに話が上手で、ユーモアたっぷり。面白かったよ。

会場に用意されたご馳走には手をつけず、会場である東京国際フォーラムを後にした。暑い夏が長かった今年で、秋も暖かかった気がするが、それでもこのところ寒くなって来た。北風を避けてか、電話ボックスに乞食が入ってうずくまっていた。携帯電話の普及で近頃は電話ボックスは使う人少ないみたいだけどね。

 木枯らしを 片目で睨む 乞食がいた

 電話ボックスの乞食黒ずむ 寒き夜や

久しぶりに句を読んだが、題が題だけにちょっと暗いか?まぁいいだろ、こういうのも。

昨日は歯を歯間ブラシで掃除していたら、奥歯の詰め物が取れてしまった。何という事だ。この忙しい時期に・・・。俺は歯医者が嫌いだ。嫌いな理由のその一番が、治療に時間がかかるということ。二番が治療費が高いということ。つまり、高い金を払い、貴重な時間を取られ(しかも体は動くのだから、仕事を休むことはできない)、痛い思いをする。これが好きな奴がいたらオカシイだろ。

Photo 実は俺は立教大学新座キャンパスからそう遠くないところに住んでいるのだが、そこに最近、「太刀川記念交流会館」という建物ができた。そばを通りかかった時に目についたので、妻に「なかなか良い建物のように見える」と言ったところ、後日彼女が、「お父さんが良いと言ってた建物、なるほどきれいな建物ね」と、俺の意見に賛成してくれた。妻がこのように建物の良し悪しが多少見えるようになってきたのは、ひとえに俺の教育のおかげである。

俺はなにも現代建築が嫌いなわけではない。むしろ大好きと言ってよい。だけどこの頃は、俺の価値観と違うものが随分増えているようで、それには正直不満がある。だけどこの建物はわりと俺の好みで、しかも良くできている。設計者はだれなのだろう?まだ、雑誌などには発表されていないと思うが。槙さんや谷口さんとは違うな。柳澤孝彦?あるいは竹中工務店のだれか?いずれにせよ、素材と言い、ディテールと言い、十分に練られた建物だと思う。ただし、裏側は左程でもない。正面ファサードの構成が秀逸。

以上、とりとめなく書いた。2007年11月の最後の日曜日である。

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2007年11月18日 (日)

吉田鉄郎の建築

先週のことだが、姉が大学の同窓会やなんやかやで東京に出てきた。日曜の夜には京都に帰るということで、帰る日の夕方に少し早い晩飯を丸の内のあたりで一緒に食べることにした。この頃は陽も早く沈むので、5時前にはもうすっかり夕刻の雰囲気だ。夕暮れの丸の内を少しの時間だが眺めまわした。この辺りはここ10年ぐらいで随分変わって、現代的なビルが林立する情景になっている。常日頃、俺は新しい開発を批判しがちなんだけど、丸の内周辺のこの変化は嫌いではない。東京の表玄関としての丸の内は、なかなか良くなってきたと正直思っている。これで東京駅の姿が建築当初の形を復元できれば、世界の他の大都市の表玄関と較べても、けっこう良い線行っているのじゃないかと思う。

Photo_2 昔の逓信省営繕部は今のNTTファシリティーズの源流になる組織で、山田守や岩元禄などの優秀な建築家を擁した名門である。吉田鉄郎もそうした建築家の一人で、東京駅のそばにある東京中央郵便局はその代表作といわれる。

この東京中央郵便局が取り壊されるかもしれないという話がある。建築学会などを中心に、保存の要望が出ているようだ。これについては、「残せるものなら残した方が良い」というのが俺の気持ちだ。どうしても残さねばならない・・・という程ではない。東京生まれの人間でないのでよく分からんのだが、これが無いと丸の内という場所のアイデンティティが損なわれるという・・・そういうことは無いんではないかと感じている。建築や都市に関係が無い人達もだいたいそういう意見なのではないだろうか。

建築の作品としてこれが名建築と言えるのか?・・・についても、正直、評価が難しいと思う。1931年に完成し、かのブルーノ・タウトがモダニズムの傑作と称えた・・というのだが、どうなんだろうね。このブログでは、自分の感覚でしか物を見ないことにしている。誰が何と言おうと、ピンと来ないものはピンと来ない。確かに悪くはないけれど、世界に目を転ずれば、1930年にはコルビジェ設計のサヴォア邸が完成し、1933年にはアルヴァ・アアルト設計のパイミオのサナトリウムがその美しい姿を現している。Cpscott この東京中央郵便局と同様のシンプルなグリッドによるファサード表現は、ルイス・サリヴァン設計の百貨店カーソン・ピリー・スコットに見られ、しかもどう見てもこちらの方が完成度が高い。カーソン・ピリー・スコットの完成年は1904年だ。

結局、当時の日本の近代建築のレベルはその程度だったのじゃないか・・・と思うんだ。ブルーノ・タウトが「モダニズムの傑作」と評したというのは、日本を案内してくれた吉田鉄郎に対する多分に社交辞令的なものだったのではないか・・・と疑えば疑える。

だから壊してよいとは思わない。この東京中央郵便局の建物が、丸の内という場所の記憶に重要な位置を占めているのなら、それはやはり保存の道をさぐるべきだとは思っている。

Photo

京都にも吉田鉄郎の作品がいくつか残っている。京都中央電話局上京分局は1924年の完成で、東京中央郵便局より古い。こちらは「カーニバル・タイムズ」という名前で、レストランおよび結婚式場として改修利用されている。中には入ったことないが、外を見る限り、鴨川にかかる橋のたもとに堂々とした存在感を示している。これは残したい。

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2007年11月 4日 (日)

京都という都市の生き方

一つのことに集中できないタイプの性格である。あれやこれやと手を出しては、中途半端に投げ出す。自分のことを言っているのだが・・・。だから大成しないのかもしれんな。

中学生の頃に、周りにギターを始める奴らがいる。それで俺もギターをやりたいと思ったが、どうもあの、コードを覚えてジャジャーンとやるのは好きじゃない。ナルシソ・イエペスの「禁じられた遊び」というのを聞いて、あーいうのをやりたいのだが、それならマンドリンで近い感じが出せるだろうと実に安易な考えで、親にマンドリンを買わせた。2ヶ月ぐらいは練習したが、まあ続いた方だ。それから、10年も経って、フランス人の友達がすばらしく上手にフルートを吹くのを聴いた。プロの音楽家でもない化学が専攻の男が奏でるメロディーに感動した。それでまた、親にフルートを買わせた。結婚した時に、これは持って行けと、親からそのフルートを押し付けられた。爾来、自分の家の押入れの奥にしまってある。当時10万もしたそうだ。このフルートはまともな音を出してもらったことが無い。「フヒェー」という、「風邪でもひいたんか、爺さん」みたいな音しか、ついに出してもらえなかったフルートが不憫である。

京都の景観というのは、俺のそういう苦い経験からすれば、集中すべきこの一点である。これをうまくやらなければ、京都は世界に誇れる街になれない。人の才能も様々、企業の持ち味も色々。小泉元首相も「人生いろいろ」と言ったではないか。都市も同じである。京都が東京になる必要は無い。むしろ京都が「他の街と違うところは何か?」をはっきりとさせ、そのことを自分達の強みとして育てていくのが、経営理論の教えるところである。京都が景観の問題でしくじれば、そう時間を経ずして、他所と変わらぬ「ただの人口100万都市」になるだろう(もうかなりつまらん都市になりつつあるのだろうが)。

01 朝日新聞2007年11月1日朝刊には京都に於いて、この9月に以前より厳しい「新景観政策」が開始されたことを報じている。これにより、京都市の市街地ほぼ全域で建物高さは31m以下(以前は45m)に抑えられる。市街中心部の幹線道路内側では更に厳しく、15m以下となる。また、市街地のほぼ全域を景観地区や風致地区に指定し、屋根は傾斜屋根として瓦か金属板で葺くことになる。これらの規制が、私の財産権を制限していることになるというのは、その通りだ。おそらく京都の住民の中でも、建設や不動産に従事している人はもちろん、自分の住んでいる土地の値段が下がると危惧する人も、この規制が京都の経済に悪影響を与えるだろうと批判するかもしれない。だが重ねて言うが、マクロ的に見るならば、京都の生きる道は、「その特色を強調していくこと」につきる。それがこの街のとるべき戦略というものである。

上の写真は西陣の中心部、大宮通沿いの街並みを撮ったものだ。観光客が訪れているのも窺えるが、街は古い町屋のデザインを踏襲したものから、新建材に覆われた建物まで混在しており、かなり混乱した印象を与える。遠くにはかなりの高さのマンションも見える。電信柱、電線の醜さはここでもひどい。

02

少し離れた場所には、このように新しい3階建ての木造住宅が並ぶ。住んでいる人達には悪いが、これら新建材で包まれた「新しいデザイン」の住宅は、まったくの景観破壊と言うしかない。写真ではこれらが古い街並みを侵食しながら建てられているのが見て取れるだろう。これらの新しい住宅も、新たな高さ規制、傾斜屋根の基準はクリアできる。京都市の新しい規制によっても、なお京都の街並みを守るのには不十分だと、俺が考える所以である。

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2007年11月 2日 (金)

謝らない日本の官僚

どうも日本の官僚は、「ごめんなさい。私共の誤りでした」と、言うのが苦手らしい。まあこれは日本の官僚に限ったことではないらしいので、役人という仕事がそういう人間を育てていくのかもしれない。俺の友人にも官僚がいるのだが、友人として付き合う分には優秀な気の良い奴らばっかりで、近頃の年金問題、薬事行政、あるいは建築行政の失態を見聞きするに付け、なんで優秀な奴らが寄り集まっていながらこういうことになるのか・・と、これは一つの謎である。

近頃は自分で役所へ行くことはめったにないが、昔は役所で役人と話して不愉快な思いをしたことは一度や二度ではない。役人と民間人が相対すると、役人の言うことは口から出たとたんに、その時その場では法律に準ずる言葉になる。戦前などと違い、役人と言えども最初から偉そうな口をきくのはさすがにあまりない。一応丁寧に挨拶はしてくれるが、一旦話し出せば、むこうは指導する人、こちらは指導される人だ。それを長く続ければ自ずと、自分が誤るなんてことはあり得ない気がしてくるのだろう。そうして謝ることもなくなる。いつでも謝る用意をしているような俺達民間人とは違う人種になっていくのだろうな。

11月1日の朝日新聞朝刊の第11面には、今年6月20日より施行された建築基準法等改正により、住宅着工件数が極端に落ち込んでいることを取り上げている。9月は前年比で44%の減であるが、10月は更に落ち込むかもしれない。こうなれば、実体経済に悪影響を与えるのは必至で、建物を建てるのに必要な時間が7、8ヶ月から長い時は2年ぐらいかかるのを考えれば、今直ちに着工件数が回復したとしても、その影響はこれから半年から1年以上も続くことであろう。確かに姉歯事件は建築の安全に対する信頼を大きく揺るがした事件であり、その再発防止のために建築確認審査などの審査システムを見直すことは、社会的な要請でもあっただろう。だが、この審査システムの極端とも言える厳格化が、実際には実行不可能に近いだろうという民間側からの意見を、国交省は結局、一顧だにすることなく、今回の無謀な改正施行に踏み切ったわけである。その結果、建築確認行政は恐ろしく不効率なものとなり、審査を通って着工に至る案件数が激減したわけである。本来、5年はかけて準備すべきほどの大改正を1年でやろうとした国交省の役人の頭の中は、「やれと指令を出しさえすれば、あとは民間はついて来る」という、民間の人間であれば信じられないような未熟な思考で埋められているのではないか。以下は新聞の引用だ。

経済同友会の桜井正光代表幹事は31日の定例記者会見で「建築基準法改正は、運用上では本当に耐震に影響するものから周辺に、何段階かに分けて広げていく(必要があった)。こういうことをやらないのは失政に近い」と国交省の運用のまずさを批判した。

このところ、国交省側も驚いて、建築確認審査における厳格化を緩和する通達を出している。少し客観的に見てみると実にぶざまである。しかも、それらの通達の中でも、彼らは「法改正の趣旨は理解された上で・・」と但し書きをつけたがる。端から謝る気は無い。「やろうとしたことは正しかったんだ」と言い訳をしつつ、「やりすぎないように」と、各都道府県に通達を出そうというのである。エエイッ!問答無用じゃ。

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2007年10月13日 (土)

楳図かずお勝ったどぉ

10月13日土曜の朝の新聞を丹念に読んだ。幾つかの記事について書きとめておこう。

黒川紀章が亡くなった。年齢は73歳だから、今時の平均から言えばまだ若いだろう。この人のことはまた時間のあるときに書こう。妻である若尾文子との最期の会話は、ちょっと感動もの。

漫画家の楳図かずお邸の建設差し止め請求に対して、東京地裁が結論を出した。近隣住民2人による訴えは却下されたのである。近隣住民2人は、計画の建物外壁を赤と白のストライプで塗るなどの「奇矯な」デザインは景観破壊であるとし、耐えられないと訴えたのだが、裁判所は、そんなもんは個人の自由なので、法でその自由を縛ることはできないと、我ら民主国家として当然の結論を下したわけである。人のやることにいちいち口出しをする近所のババア二人も、この国における自由を尊重する気風を深く学び取ったことであろう。第一、楳図かずお氏が計画しているこの家は、彼の作品なのである。何が作品かって?作品というからには、「作られた品」のことだから・・・まさか、芸術作品のことだとかってに思い込んではいないだろうな。要するに、この国ではどんなものを作ろうと作品であるから、それを近所のババア二人ごときに阻止されるいわれは無い。

今朝は愛犬キャロを連れて散歩に出、道端の芝生の上にウンコをさせた。太さと言い、艶と言い、みごとなウンコである。この小さな犬がかくも立派なウンコをするのは、飼い主である俺が愛情を注いで餌を食わせているからだ。してみればこのウンコは俺の作品である。そのまま道端に残してみんなに見てもらうことにした。見たく無いって?なんて失礼な。だったら見ないようにしろ。これは私の「作品」であって、表現の自由はユ・ズ・レ・ナ・イ。

Hal 筑波大学教授の山海嘉之さんが開発したHAL。人が装着することで、筋肉を補助する。重いものを軽々と持ち上げられるので、介助の現場などでの利用が期待されている。こういう人と機械と情報技術を融合するテクノロジーを「サイバニクス」と呼ぶ。覚えとこぅ。以前にテレビで紹介されているのを見て、「面白いなぁ」と、思っていたのだが、山海さんはこの技術を実用化するため、ベンチャー企業「サイバーダイン」を立ち上げている。大和ハウス工業が主な出資者だそうだ。良いとこに目をつけてるよ。さすがだ。

山海教授の言葉。「サイバニクスを思索していたころから、一本、筋を通したのは人を支援する技術という、その一点だけ」。学ぶべし。

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2007年9月16日 (日)

あべちゃん/リーダーの条件

あべちゃんには最初から疑問を持っていた。でも昨年の今頃、日本国民の約半数は積極的に安倍晋三を支持してたよね。ここに来ての論調はひどいよ。ちょっと可哀想に思えてきた。もういいよ、あの人は十分に傷ついたみたいだ。ひょっとすると政治生命まで奪われたかもしれない。これほどの酷い退場劇。参院選敗北後に速やかに辞任していれば将来に可能性を残したかもしれない彼の再登板は、これで永久に無いと思う。

とは言え、あの人は自分の役割を誤解していたな。歴史に残る首相になりたかったみたいだけど・・・。確かに皆の記憶に残ったかもししれない。彼が望んだのとは逆の意味でね。

02 (組織の)リーダーになるには3つの条件が必要だと何かで読んだ。国も一つの組織だから首相にも当てはまると思うけど。その3つの条件とは、「能力」「人望」「正統性」だということだ。「能力」は当たり前だが、それだけでは駄目なのね。石田三成の例をひもとくまでもない。「人望」の無い人はやはりリーダーとしてはノーグッド。そして「正統性」。これが案外重要な要素だというのは、社会に出て俺達ぐらいの歳になるとわかってくる。能力があって人望があればいいじゃないか・・なんて青臭いこと言ってちゃいけない。大事だよ、正統性。じゃがね、安倍首相の場合、首相になった当時は「正統性」と国民的人気はあったんだね。最初から「人気」であって「人望」じゃなかったように思う。そして「能力」が無いことが明らかになるにつけ、その国民的人気も急落して行ったというわけだ。

01 てなことを、麻布十番の「あべちゃん」で友人と話していたのが、安倍晋三の辞任表明会見の前の日だ。麻布十番の「あべちゃん」は上出来の店。冷えたビールで焼きトンを喰らう。モツ煮込みも良し。あぁ、庶民でよかった・・・と。

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2007年9月 9日 (日)

近所のお店は消えて行き/9月8日朝日新聞

「タヌキやキツネの出る所狙え」・・・何の話かと思った。9月8日朝日新聞朝刊の第13面の記事である。郊外型のショッピングセンターの出店のことだ。イオンの岡田卓也さんが発した言葉として業界では有名なのだそうだ。それは、一旦置いておいて、問題は地方の商店街の衰退である。

先日、妻と映画を見に行った。車で15分ほど行ったところにある大きなショッピングセンターには、いわゆるシネマコンプレックスがあり、複数の映画を上映している。お目当ての映画を見終わってから買い物をして帰った。便利だ。売っているものもそこそこ安い。

たまに京都に帰ると、子供の頃にあった近所のお店が随分と店を閉じたのに気づく。高齢の母には、遠くのマーケットまで買い物に行くのがかなり辛くなってきたようだ。都会に住んでいるのに買い物が不便とは・・。

30をちょっと過ぎた歳のころ、仕事でデトロイトにしばらく滞在していた。中流以上の人々は郊外に居を構え、市の中心部は随分荒れ果ててスラム化していた。デトロイトは今でもあんな具合なのか?

9月8日の朝日新聞朝刊を読んでいろいろな思いが頭をよぎった。しかし言えるのは、この30~40年ほどの間、日本の国は、政府は、都市の中に育った近隣住民の為の商店街を見捨ててきた。好意的に考えれば、人々の生活パターンの変化を前に打つ手が無かったのかも知れない。いずれにせよ商店街は壊れ、店は空き家となり、あるいは壊されて駐車場となった。いくつかの空いた土地は地上げされ、アパートやマンションが建つ事もあろう。それらは経済的な力学により、変貌して行く。それが都市構造の変化であり、無理やり押しとどめることは難しいのかもしれない。けれども本当にそれで良いのだろうか?我々がその変化の中で失ってきたものを考えてみる。八百屋や魚屋の店先で交わされていた「まけろ」「10円引きます」というたぐいの会話・・・もちろんスーパーのレジでそのような会話はあり得ない。魚屋では選んだ魚を焼いてくれる。焼き加減を注文する。店は焼いた上に届けてくれたりもする。そういうやりとりの中で育っていった地域の連帯感。近隣の店が無くなるという事は、街が崩壊しているということなのではないか。してみれば、国は、政府は、(人が住まう)街の構造が崩れていくのを手助けしてきた、と言って悪ければ、座して見ていたということにならないか。

無能の政府、官僚集団・・・という言葉をぐっと口の奥に押し殺しながら、しかし、一方で様々の規制の強化もあることに思い至ると愕然とする。この度の改正建築基準法等の施行により、現在、確認申請業務が大混乱していることは建築関係者にはほぼ明らかである。誰の思いつきだったのだろう?来年には一級建築士制度の見直しがあり、構造一級建築士や設備一級建築士ができる。何も知らない人にとっては、姉歯事件をきっかけに建築士の資格制度そのものを国が見直した結果だと映るであろう。だが、ことの本質はそうではない。建築の構造技術者については民間の自主団体だが、日本建築構造技術者協会があり、そこが認定する建築構造士制度がある。建築設備についてはやはり、建築設備技術者協会があり、建築設備士を認定している。それらの資格は、民間とはいえすでに高度の技術者資格として業界内で十分に認知されている。普通に考えれば、それらの資格制度を国の制度に位置づければ良いことである。それでは何故、構造一級建築士や設備一級建築士を新たに設けようとするのか。推定できる、かつ納得できる答えは一つである。構造一級建築士、設備一級建築士制度がいよいよ施行の暁には、それらの資格試験や免許の管理のため、めでたくも新たな公益法人が必要だと主張できる・・そのことである。そうして新たな国交省役人の天下り先が確保できることになる。

俺が子供の頃、近所の店から御用聞きが回ってきたものだが、なんか押し付けがましくていやな印象を持ったものなのだが・・・これは考えてみると現状打破の一つの手かもしれない。郊外型のショッピングセンターは車を前提として成り立っている。俺たち家族も、車があることを前提で今の住居に住んでいる。だが住民のすべてが車を所有しているわけではない。高齢化がすすむ都市部においては、俺の京都の実家を引き合いに出すまでも無く、新しい販売サービスの形態が生まれるチャンスがあるように思う。そういうことをしかし、大手、たとえばイオンやオリンピックなどの大規模小売店舗を経営する会社にまかせてはいけない。彼らには資本も人材もある。やろうと思えば短期間のうちに、洗練された大規模な販売システムを構築できるだろう。だが、国や地方自治体は今度こそ、地元密着型の小売販売システムを、まさに風前の灯の商店街を軸に構築していく必要があるのではないか。そのためには指導者も必要だろう。システム構築できる人材も必要だろう。もちろん資金も必要だ。だが、そこにこそ税金は使われるべきである。

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2007年9月 2日 (日)

楳図かずおの家/建築における自由

特段の理由も無く気持ちが沈んで、何もやる気がなくなる時がある。それも休日にそうなることが多い。忙しい日が続いた後にそうなりやすいようだ。愚痴になるけれど、忙しいのは大概つまらない(と言ったら怒られるかもしれない)雑用のせいだ。盆明けからこの2週間ほど、建築業界の某協会から来ている複数のアンケートに回答することや、前期の(7月から新しい事業年度に入っている)支店の受注に関するデータを集計すること、あるいは部下に人事評価のための目標を立てさせる・・という、この時期に特有の仕事が普段の仕事に加わった。業界のアンケートの回答を8月31日、締め切りぎりぎりに送付した後、何とも言えぬ虚しい気持ちになった。その気持ちを引きずったまま土日に入った。

Photo その土曜の朝の新聞で漫画家・楳図かずお氏が建てようとしている家についての記事を読んだ。近隣の人達が建築中止の仮処分を東京地裁に求めているその家は、外壁を赤と白の横ストライプに塗る計画である。楳図かずお氏は普段から赤と白の縞柄のシャツを着たりしており、それを彼のトレードマークのようにしている。その色の組み合わせが好きなんだそうだ。建設予定地の近隣の人々は、その外壁の計画に対して、「乱痴気」であり「身の毛もよだつ」建物であり耐えられない・・と、訴えているのである。楳図氏はそれに対して、「家は作品」であって「あんまり普通すぎても世間への貢献にならない。表現の自由は譲れない・・」と話しているということだ。この記事を読んで、俺はしばらく考え、二人の人物の言説を思い出した。一人はアレックス・カーであり、もう一人は妹島和世である。

アレックス・カーは俺より少し年上の日本に在住する米国人で、「美しき日本の残像」や「犬と鬼」という著作で知られている。「犬と鬼」の方は俺もこれから読もうとしているところだが、「美しき日本の残像」の方は先ごろ読み終えた。あまりにも美を価値の上位に置きすぎているのではないか・・と思えるところもあるが、大体においては俺が相当若い頃から抱いていた日本の景観に対する評価を、外国人の目から見てもそうであったかと裏付けている。要するに日本の景観は都市も、農村も、いや京都ですらもはや美しくはなく、むしろ醜さに拍車をかけている・・という事実の指摘だ。一例を引用しよう。

京都と奈良を色々と遊び回りましたが、それは目の前で破壊されつつあります。特に京都の場合、その破壊は凄まじいものであって、「今の日本人は昔の美に対して何らかの恨みを持っているのではないか」と思えるようになりました。

右の話のつまるところは、日本の自然と日本の伝統文化はもう駄目だという結論です。

もう駄目だと言われても、我々日本人はここに住み続けるしかない。確かに諸外国を訪れてみて、日本に目を向けると、日本人は実に色んな実用的理由をつけて、貴重な景観を破壊していることに気が付く。便利であること・・は大事だけれど、例えば赤ん坊を育てる時にロボットが授乳してくれるのならば、それを買って赤ん坊のそばに置くのだろうか?戦後の日本では美しいことはいつも無駄であり、金をかけてまで守るべき価値ではないのだろう。俺には人が生きる場所に対する愛情の不足と思えるが。

それから、表現の自由は守らなければならない・・という言説は本当に正しいのだろうか?便利であること、表現が自由であること・・これらを理由に、日本の景観はどれだけ情けなく毀損されてきただろう。建築家はどれだけそのような景観破壊に手を貸してきただろう。表現の自由のために。もういい加減に気が付かなければならない時期なのだが・・・。

妹島和世の名を出すのは、彼女が唯一悪いからではない。彼女は正直言って、我々世代の建築家の中ではやはり、稀有の感覚(あえて才能と言わない)を持った人である。ここで彼女の名を出すのは、先日何かの記事で、彼女が「『建築は自由である』ということを伝えるのが自分の建築の目的」だと考えているらしい・・ことを読んだからである。はたして建築は自由なのだろうか。「建築は自由である」という言葉はとても英雄的に響き、ほとんど反論できないほどである。だけれども疑わなければならない・・と俺は思う。もしそれが正しいのなら、それは楳図氏の言う「表現の自由」と、理論上どこがどのように違っているのだろうか。俺には分からぬ。

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2007年8月19日 (日)

自由学園明日館/つづきのつづき

今日は8月19日だ。今月に入ってから、ブログを書くのに飽きてしまって、しばらく間を空けた。実は昨日、京都の実家からこちらに戻ったばかりだ。京都のことについて書く材料もあるが、自由学園明日館について今少し書き足しておこう。

明日館のホールで、俺は四半世紀も前のことを思い出していた。俺は語学研修のため確か5月の末に米国南部の田舎町を訪れた。それからの3ヶ月は多分、俺の人生における最も美しい日々だったろう。学校は深い緑に包まれており、夏の花は咲き乱れていた。空は青く、空気は澄んでいた。だのに時々激しい雷雨が襲い、そのあとは決まって日没前の太陽が南部の田舎町を赤く染め上げたんだよ。学校ではいろんな国の奴と話した。ドイツ、ベルギー、オランダ、メキシコ、コロンビア、ブラジル、台湾、韓国、そうそうガーナから来ていた奴とも仲が良かった。皆それぞれに魅力的だったし、第一若かった。Kちゃんだけじゃなく若い女の子も多かったからね、今思い出すとバラの花の香りにむせたような息苦しさを感じるよ。50過ぎたオヤジがね・・・。そうして8月の今頃にね、研修は終わった。俺は北へ、Kちゃんは西へ、他の仲間もそれぞれの目的地に向かって別れて行った。

05夢想にふけっていたのは、ほんの10分か15分のことだったであろう。 自由学園明日館のホールには、そういうセンチメンタルな思い出に浸らせる魔力のようなものが満ちていた。このホールの床は周りより40~50センチ下げられている。このホールの椅子に座ると、高い窓を通して目線は低く外の景色を眺めることになる。これはライトが仕掛けた建築的テクニックであろう。そのためかこの空間は、なにか『包み込まれる』ような安心感を与えているように思う。ライトは目線を低くすることによる効果を十分に意識してここに用いたに違いない。

06

窓の向うには、明日館の敷地境界沿いに植えられた桜が望まれる。これらの桜は竣工当時には無かったように思われるが、それにしても桜満開の頃は、縦長の窓から見える桜がこのホールを包み込み、この空間をまた一段と特別な時間の流れる場所にすることであろうと思われる。空間が詩を唄う時節が訪れる。桜の頃にまた訪れたいものである。

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2007年6月24日 (日)

2007年6月24日

特に書くことは無いのだが、このところの生活の記録を少々。

梅雨入り宣言後も雨があまり降らない。雨は嫌だけれど、降るべき時期に降らなければ、それはそれで困るよな。今日も曇り空だけれど雨は降っていない。実は数日前から窓がビニールシートで覆われている。住んでいるマンションの大規模修繕工事で外壁の塗装工事が始まり、塗装部位以外を塗材から守るためシートで覆われてしまった。当然窓は開けられない。部屋内はなんとなくジメッとしているのだが、ただ我慢している。窓を開けるという何でもないことで、気持ちも開け放つことができたのだと、実は大事なことなんだと、自分で自分に頷いている。

相変わらず仕事を持って帰っている。スッキリ休めない。どこへも行けない。窓は塞がっている。気持ちも塞がる。そういう日曜日だということ。

これで終わるとあまりに面白味が無いブログなので、京都の写真をひとつ載せておこう。

01_11

北野天満宮は菅原道真を祭る神社で、学問の神様、受験の神様ということで賑わっている。牛はこの神社では神のお使いとして特別の意味を持つ。神社の境内には「お牛様」が祭られていて、京都の受験生は受験の前にお参りに来る。いや、京都だけでなく、他府県からも来ているようだ。

この写真はその「お牛様」ではない。御手洗の手水鉢に置かれている。なんかいいね・・・と、俺は思ったが。正月の初詣の折である。ここには幾つかのキーワードがある。水、それも神聖な水、神、動物、自然。心の深いところに働きかけるイメージ。そういうものが大事なんだな・・と、ここのところずっと思っている。

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