2008年4月19日 (土)

彩の国さいたま芸術劇場の印象

香山壽夫はルイス・カーンに師事した日本人建築家として知られ、また東京大学建築学科教授を務めたという、まずは日本の代表的建築家の一人ということだろう。そういう偉い建築家の作品に「彩の国さいたま芸術劇場」というのがある。もう十数年前に竣工した建物でそう新しいわけではないが、日本建築学会賞、村野藤吾賞、BCS賞などという、どの一つもらっても大変な名誉という建築の賞をいくつも受賞しており、香山先生の代表作と言ってよい。そういうことで前から一度見てみたいと思っていた。自転車で遠出したついでに、やっとのことで目にすることができた。

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正直、突然現れた灰色の塊に驚いた。最初はこれが劇場だと認識できず、何かの工場、多分セメント工場かなにか・・と思った。これは設計者が悪いのか、建っている場所が悪いのか。残念です、香山先生。俺的にはまったく×建築です。東京大学の弥生講堂なんかは同じ先生の作品でもなかなか良いのにね。これはどうもいただけません。ま、とにかくこれは裏側ですから大目に見て、表に回りましょ、表に。表はきっともっと良いはず。なんたって建築学会賞受賞作ですから。

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ガチョーン(谷啓のギャグ。古っ) これですかい。

最近地方へ行くとよく見る「道の駅」を思い出した。

どうしてこう色がくすんでいるんだろう。先生、色の感覚はあまり良くないようですな。それともこういう地味な色使いがカッコイィーという時代だったのか。いずれにせよ、この場所、この晴れた空の下、こういう不機嫌な建物が芸術劇場であるということ。それはやっぱりいただけない。

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壁のクラックが気になった。こうあちこちにクラックが入っているのは、もちろんコンクリートの性能として問題ある。早く補修をかけたほうが良い。中の鉄筋が錆びるぞ。デザイン優先で有効なクラック防止対策がとられていない。東大の建築の先生がこんなことで良いのだろうか?しかも建築学会賞やBCS賞まで与えられている。どういうことなんだろう?これが、この年、日本で建てられた建物の最高峰だとっ!!

実は、実際に見るまでは期待してたんだ。本当だよ。最初から悪口を言うつもりなんかなかった。でもあんまりだよ。これが俺の好きなルイス・カーンの弟子の仕事?

カリフォルニアにあるルイス・カーンの設計した「ソーク研究所」を初めて見たときの感動。コンクリートのマッシブな形態が俺を圧倒した。カリフォルニアの青い海と空、岸壁の上に建つ建物の放つ宇宙的な存在感。涙が出そうだったよ。

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テラゾーの笠石がこんなに反り返るとは・・・。下地のモルタルも引っ張られたせいか完璧に浮いている。ひどい。施工も良くないのだろう。しかし、このテラゾーの品質がまず良くない。またそれをこの部位に使うべきでなかったのだろう。いずれにせよ、これが何故建築業協会の賞であるBCS賞を受賞しているのだろうか。まことに不思議。要するに、審査なんていい加減だということである。

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平面のレリーフが飾ってあった。ふーん、やはり平面はルイス・カーンの弟子らしく、単純な幾何学形態のきれいな構成だな。中央広場の取り方も納得できる。しかしこれが三次元で出来上がったときに、何故かくもしょぼい空間になるのか。

建築において平面は大事である。しかし、平面だけでは読みきれないことも多いようだ。とにかく今年見た建物の中で、がっかり度は一番でした。

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2008年4月12日 (土)

桜咲く頃のこと

メタボ検診なるものが始まるらしい。まことにおせっかいなことである。ウェストサイズ85センチ以上が成人病予備軍だとして、あれこれと指導を受けさせられるらしい。昨年、大学建築学科の同窓の輩がたて続けに2人亡くなった。まだ50代半ばである。2人とも俺よりはよほど痩せていたが、命の炎は早く燃え尽きてしまった。どうもウェストサイズ85センチなどというのが健康のバロメーターだというのが納得いかない。これを超える男性が病気になり易いなどというのが統計的に証明されているのだろうか。反対を唱える医師もいるということではないか。・・・などと言っても、犬の遠吠えである。

健康の為に、休みの日は自転車で遠出することにした。そのために自転車も買い換えた。そんなに高級なやつではないが、一応21段変速のギアがついている。風を切って走る感覚が快適で、これに乗って休日に走るのは楽しくないこともない。先週の日曜は天気もよく、朝から大宮の方へ出かけた。

200801しばらく走ると田畑もある。桜は盛りを少し過ぎているが、まだまだ見ごろである。この小川は用水路か?水面に映る桜がずっと向うに続く。かみそり護岸はいただけないな。その上の青く塗られた金網フェンスはなおいけない。転落防止のために・・というのは分かる。でもこういう方法しかないのだろうか。見慣れてしまえばどうということはない・・・か。安っぽい解決策に走る国民性が悲しい。

だが桜は美しい。この辺りは初めて来た場所だ。真っ直ぐな用水路、その水面に映る青い空と桜の並木。この季節、この花は醜い日本をそれでも慈しむがごとくに咲いてくれる。

 ゆくりなき 郷の桜を 訪ねけり

生まれ故郷の京都を離れ、関東に住まうようになっていつの間にか四半世紀。子供達はこちらで育ち、上の子は成人を迎えた。今でも俺にとっては京都が故郷だけれど、あと10年もこちらで暮らしたら、ことさら京都へ帰る気持ちは失せるかもしれないな。それも自然の成り行きだが。

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川の土手に咲く桜。実は、こういう景色は俺にとって日本の原風景で、だからこれは「俺が久々に見た日本の景色」という感じなのである。うららかな日差しの下、土手の桜はただ咲き、ただ散り行く。これを思うときの不思議な安らかさはどうだ。

 一山の 花を飾りし 小川かな

日本人はあちこちで日本の国土を雑然とした風景に作り変えてきたが、どういうわけかその代償行為として桜を植えてきたように思える。それで、こうして休みの日にちょっと自転車で遠出すると、有名では無いけれども十分美しい桜の花に出会えるのである。こういう田園風景の中の桜を愛でながら、ゆっくりとペダルを漕いでいると、「ああ、日本人でよかったな・・」と思えて来るので、俺も相当に単純な人間である。

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土手に上がり、桜並木にそって進む。これだけの見事な桜だというのに、それほど人に出会わない。日曜日の朝まだ早いからか?でもいいなぁ。贅沢だなぁ。金も使わずにこういう気分を味わえる。休みの日といえど早起きしてみるものである。

 陽の在り処 土手の上なる 桜木の下

メタボ検診、俺の場合かなりきわどい。

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2007年12月15日 (土)

2007年12月15日天気晴朗にして

実はこのところブログを書くのがしんどいのである。「しんどい」というのは関西の言葉で、疲れる、つらい、という意味である。理由は二つあって、一つはとにかくやらなければいけないことがたくさんあって、時間が無いということ。もう一つは書くネタが無いということである。二番目の理由は更にその理由があって、外をぶらぶらと出歩かないからネタが拾えないということである。それというのも時間が取れないからだから、結局は時間が無いということに収斂してしまう。ネタがなければ同じようなことを繰り返すしかないので、これは俗に言う繰言ということで、症状としてはボケ老人に近くなる。俺はまだボケるほどには歳をとっていない。時々知っているはずの人の名前が出てこないことがある。それはたいがい前の日に飲みすぎた酒のせいで、歳のせいではない。朝、降りるべき駅で降りず、二つほど過ぎた駅でそのことに気が付く、いや正確に言えば目覚めることがある。それは降りるべき駅の三つ手前で、立っている俺の前の席に座ってた奴が電車を降りたためである。立っている自分の前の席が空き、そこに座る。日頃の仕事で疲れている俺がそこでついウトウトと寝てしまったところで、誰が俺を責められるだろう。据え膳食わぬは男の恥、空き席座らぬはオヤジのやせ我慢である。

ネタが無いので読んだ本のことなどを書くことになる。あの本について書こうか。あの本とはアレックス・カーの「犬と鬼」のことだ。これはちょっと根性が要る。今はやめとこ。もうちょっと気力が充実している時に書こう。

Photo写真一枚載せとこう。

鳥越神社の近くで撮った。撮り貯めた写真の中の一枚だ。こういう街の風景がなかなかにすごい。それにこの建物、うまく再生すれば人を呼べそうじゃないか。

こういうのが古い建物、無名の建物の力というものだね。ゲニウスロキ。地の霊よ目覚めよ、目覚めて再び時を刻めよ。

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2007年11月25日 (日)

11月の終わりに

勤労感謝の日から三連休となったが、勤労感謝の日は会社に出て少し仕事をした。そのせいもあってか、あまりゆっくり休んだ気がしない。色々と考えなければならないことがあり、頭の中が何かしら緊張状態にあるようで、こういうことではいけないのだが・・と思いつつも、その緊張が土日にも解けないでいる。

先週のことだが、UIA(世界建築家連合)東京大会のキックオフレセプションというのがあり、社長の代わりに出てこいと言われ、気が進まないまま出席した。やっぱり知っている人はほとんどいない状態で、しかも狭い会場の中に人が居過ぎ。こういうところに長居はできない。一通りの挨拶が終わり、例によって「ご歓談」となったが、ワイン一杯飲んでサッサと引き上げた。実行委員の代表は槙文彦氏。会場には冬柴国土交通省大臣、石原都知事などが来ており、それぞれに挨拶をされた。有名建築家の姿もあちこちに見かけた。こういう場所はやっぱり苦手だ。

石原都知事が挨拶に立って、「東京の街は(景観として)ひどいもんだよ。これをなんとかするのに、これから建築家の皆さん頑張ってほしい。旦那であるゼネコンの言いなりになってちゃだめだよ・・・」と、まあ正確な言葉は書けないが、そういう趣旨の話をしていた。認識違いは甚だしい。東京の街がひどいのはその通りだが、それをそうして来たのはゼネコンのせいばかりではない。建築家も随分手を貸してきたし、今もそうだ。第一、ゼネコンは建築家の旦那的立場にはいない。ちょっと失笑を買ってたなぁ。

建築家を下手に頑張らせない方が東京は良くなるのじゃないのか?・・・て、そういうことは言わん方が良いな。自戒。

石原さんはさすがに話が上手で、ユーモアたっぷり。面白かったよ。

会場に用意されたご馳走には手をつけず、会場である東京国際フォーラムを後にした。暑い夏が長かった今年で、秋も暖かかった気がするが、それでもこのところ寒くなって来た。北風を避けてか、電話ボックスに乞食が入ってうずくまっていた。携帯電話の普及で近頃は電話ボックスは使う人少ないみたいだけどね。

 木枯らしを 片目で睨む 乞食がいた

 電話ボックスの乞食黒ずむ 寒き夜や

久しぶりに句を読んだが、題が題だけにちょっと暗いか?まぁいいだろ、こういうのも。

昨日は歯を歯間ブラシで掃除していたら、奥歯の詰め物が取れてしまった。何という事だ。この忙しい時期に・・・。俺は歯医者が嫌いだ。嫌いな理由のその一番が、治療に時間がかかるということ。二番が治療費が高いということ。つまり、高い金を払い、貴重な時間を取られ(しかも体は動くのだから、仕事を休むことはできない)、痛い思いをする。これが好きな奴がいたらオカシイだろ。

Photo 実は俺は立教大学新座キャンパスからそう遠くないところに住んでいるのだが、そこに最近、「太刀川記念交流会館」という建物ができた。そばを通りかかった時に目についたので、妻に「なかなか良い建物のように見える」と言ったところ、後日彼女が、「お父さんが良いと言ってた建物、なるほどきれいな建物ね」と、俺の意見に賛成してくれた。妻がこのように建物の良し悪しが多少見えるようになってきたのは、ひとえに俺の教育のおかげである。

俺はなにも現代建築が嫌いなわけではない。むしろ大好きと言ってよい。だけどこの頃は、俺の価値観と違うものが随分増えているようで、それには正直不満がある。だけどこの建物はわりと俺の好みで、しかも良くできている。設計者はだれなのだろう?まだ、雑誌などには発表されていないと思うが。槙さんや谷口さんとは違うな。柳澤孝彦?あるいは竹中工務店のだれか?いずれにせよ、素材と言い、ディテールと言い、十分に練られた建物だと思う。ただし、裏側は左程でもない。正面ファサードの構成が秀逸。

以上、とりとめなく書いた。2007年11月の最後の日曜日である。

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2007年10月21日 (日)

東京のアジア

01 清澄通りを深川から両国の方にぶらぶら歩いて行くと、清澄公園というのが道路の左側にある。東京という都市の中での貴重な緑だが、中に入ろうとすると入場料を取られる。この程度の庭に、けっこうな入場料を払ってまで見ようという心とフトコロの余裕を持ち合わせていないものだから、その公園の東側を歩いて両国へ向かった。そうするとどうだ、この公園の東側、つまり道路側には奇妙な建物群、いやいや群ではなく連なっているのを発見した。

写真で見るといくつもの建物が建ち並んでいるように見えるかもしれないが、これはもともとは一棟の建物だ。つまり長屋になっている。そうして今は塗装で塗り分けられている。それだけでなく、塗り分けたそれぞれの部分は、住み手によっていろいろ付け加えられているようだ。屋上部分にも、それぞれ建て増しているのがわかる。もちろん違法だろうが、行政も今さら何も言わないのだろう。これらの建物の裏側は清澄庭園である。どういう経緯でこのようになっているのか?だが、都市景観としてはなかなか味がある。こういうのアジア的・・と思うんだけど、どうかな・・現代東京の中のアジア。生きられる空間・・と、言っても良いな。

02 近寄って見上げてみた。オォッ!デザインしている。これ、その誕生の時は、それなりの建築家が関わっていたんじゃないの。

だがこの写真を撮って一月、いまだに調べはついていない。

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2007年9月24日 (月)

黒胡麻担々麺/門前仲町

01 「万豚記」という店がチェーン店とは知らなかった。建物に引かれて門前仲町店に入った。店員も全員中国人のようで中国語が飛び交っていた。それですっかり日本に在住の中国人がやっている店に違いないと思ったが、際コーポレーションという会社が展開している四川料理の店だということは後で分かった。この会社は日本料理やイタリアンなど様々のレストランを運営している。なかなか店作りのうまいプロ集団のようだ。この万豚記も店員を全員中国人にしているのは意図的であろう。

02 のれんが可愛いよね。「らーめんいただきます」か・・じゃ、いただきます。

豚が楽しげにラーメン食っている。間違ってはいけないが、店の中では豚を食わせているので、豚が食っているわけではない。だから豚が楽しそうに描かれているのはもちろん嘘だな。もっともこののれんの絵を見て、中で豚がラーメン食ってると思う奴はいないだろうが。

03 黒胡麻担々麺。なかなかの面構えで出てきた。ここの担々麺はこってりし過ぎと嫌う人もいるようだが、俺はけっこう美味しく食った。10点満点で8点ぐらい。腹減ってる時に近くを通ったらまた入ると思う。強めの辛味噌味が麺にからむ。大量の黒胡麻が香ばしい。汗が噴出した。

チェーン展開している店ではあるが、古い建物を再利用し、この深川の街に、下町らしい雰囲気を醸し出しているのはGOODだ。堅苦しい言葉で言うと「地霊」またはゲニウス・ロキ。軽く言うとコンテキスト。そういうの、街のデザインに於いては「個性」以前に尊重した方が良いと思う。

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2007年8月19日 (日)

自由学園明日館/つづきのつづき

今日は8月19日だ。今月に入ってから、ブログを書くのに飽きてしまって、しばらく間を空けた。実は昨日、京都の実家からこちらに戻ったばかりだ。京都のことについて書く材料もあるが、自由学園明日館について今少し書き足しておこう。

明日館のホールで、俺は四半世紀も前のことを思い出していた。俺は語学研修のため確か5月の末に米国南部の田舎町を訪れた。それからの3ヶ月は多分、俺の人生における最も美しい日々だったろう。学校は深い緑に包まれており、夏の花は咲き乱れていた。空は青く、空気は澄んでいた。だのに時々激しい雷雨が襲い、そのあとは決まって日没前の太陽が南部の田舎町を赤く染め上げたんだよ。学校ではいろんな国の奴と話した。ドイツ、ベルギー、オランダ、メキシコ、コロンビア、ブラジル、台湾、韓国、そうそうガーナから来ていた奴とも仲が良かった。皆それぞれに魅力的だったし、第一若かった。Kちゃんだけじゃなく若い女の子も多かったからね、今思い出すとバラの花の香りにむせたような息苦しさを感じるよ。50過ぎたオヤジがね・・・。そうして8月の今頃にね、研修は終わった。俺は北へ、Kちゃんは西へ、他の仲間もそれぞれの目的地に向かって別れて行った。

05夢想にふけっていたのは、ほんの10分か15分のことだったであろう。 自由学園明日館のホールには、そういうセンチメンタルな思い出に浸らせる魔力のようなものが満ちていた。このホールの床は周りより40~50センチ下げられている。このホールの椅子に座ると、高い窓を通して目線は低く外の景色を眺めることになる。これはライトが仕掛けた建築的テクニックであろう。そのためかこの空間は、なにか『包み込まれる』ような安心感を与えているように思う。ライトは目線を低くすることによる効果を十分に意識してここに用いたに違いない。

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窓の向うには、明日館の敷地境界沿いに植えられた桜が望まれる。これらの桜は竣工当時には無かったように思われるが、それにしても桜満開の頃は、縦長の窓から見える桜がこのホールを包み込み、この空間をまた一段と特別な時間の流れる場所にすることであろうと思われる。空間が詩を唄う時節が訪れる。桜の頃にまた訪れたいものである。

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2007年7月28日 (土)

自由学園明日館/つづき

03自由学園明日館は木造の建物だ。それで随分と荒れていたらしいが、数年前に全面的に修理を行い、現在は建物は公開されているし、何かのイベントに借りることも可能だ。

門をあけて敷地に入り、見学のために入場券を購入する。この入場券には建物見学だけのものと、喫茶券つきのものがある。俺は喫茶券付きの方を選び、建物の中へ入って行ったのである。

02_2 さて、今回俺が見たかったのは食堂である。食事をする場が教育的な意味で重要なのではないか・・と、前々回のブログに書いた。ここでもフランク・ロイド・ライトの設計した食堂空間を体験したいと思い、この建物を訪れたのだが・・・やはり、良い空間であった。それは素直にそう感じられる。

何が良いのであろうか?使われている素材は、木、レンガ、漆喰?か。あと、窓のガラス。それぞれはいかにもライト風にデザインされていて、控えめな色と入念な形を持っている。スケール感も良い。だいたいライトの建物は、ライトが米国人だったにも関わらず、空間スケールが小さめで、それだけ親密感が増しているように思う。ここでは、何か、女子学生に対するライトの愛を感じたな。実際ライトは建物の竣工後、この建物について述べており、そこでは彼女らをこの学園に咲く花に例えている。

04 吹き抜けのあるホールに入ると、受付に気品のある若い女性がいた。さすがに良い娘を置いていると妙に感心しながら、彼女にお茶とクッキーを注文した。この日、この時間、ここでお茶をいただいているのは俺一人だった。音楽が静かに流れるこのホールでお茶をいただきながら、俺はいつしかKちゃのことを思い出していた。

Kちゃんは今から25年以上前、米国の語学学校で知り合った女性である。自由学園の卒業生だった。目の大きい可愛い女性で、語学学校の日本人の若い男性には人気があった。彼女によって俺は自由学園の存在を知るようになった。

Kちゃんは低血圧気味で、朝は弱いようだった。学校の食堂で朝食をとり、そろそろ授業に行こうとすると、彼女があわてて食堂に入り、コーヒーを持って俺達が座っている席に来た。俺以外の男性は皆俺より若く、親切で、(おまけに彼女に多分好意を抱いていたので)彼女が席に座るのを喜んで迎え、彼女が目覚めのコーヒーを飲み終えるのを待つことになってしまった。まあ俺一人だけ、「ゆっくり飲めばいいよ、まだ5分もあるからね」と、いやみを言ったつもりだったのだが、彼女はそれをジョークと思ったのかとても可笑しそうに笑った。その時俺は彼女を、やはり可愛い娘だな・・と、少しは思ったようだ。その時の情景がいまだに浮かんでくる。

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2007年7月22日 (日)

鰹そして自由学園明日館のこと

デパートの地下の魚屋で、鰹のさくを安く売っていた。本日の目玉商品というやつか?そいつは買わねばならんだろう・・という天の声に従った。天の声が間違っていたこともあるにはある。しかし今回の天の声は、日頃悩み多いこの凡夫を救おうという有難い神の所業であったと知るのである。

玉ねぎスライスとミョウガの千切りを冷水にさらし、大葉を用意する。生姜、ニンニクをすりおろして小さい器に別に入れておく。ポン酢は市販のものでよい。鰹のさくを厚めの切り身に切り分け、先の玉ねぎ、ミョウガ、大葉とともに皿に盛る。なんという美味しそうな色合いだ。鰹の一切れを少量の玉ねぎとミョウガとともに大葉で包み、生姜とニンニクを混ぜたポン酢につけ、口に含む。大葉が前歯によりピシッと破れ、玉ねぎ、ミョウガがシャキッとつづく。そして思いの他、軟らかい鰹の身が俺の歯に噛まれるままジワッ、ジワッと旨味を口の中に広げるのだ。ピシッ、シャキッ、ジワッである。たまらずもう一切れを同じく、ピシッ、シャキッ、ジワッとやる。ここでビールをグイッである。旬のものを旬に食うのが食の極意だと・・なぜか得意げにうんちくを垂れる昨夜の夕餉であった。

自由学園明日館のことについて書くつもりであったが、昨夜の鰹の美味さは書き留めておきたかった。それはともかく自由学園明日館のことである。

01_16 自由学園は東京は池袋駅に近いこの場所、西池袋(昔は雑司が谷と言ったらしい)に、大正10年、羽仁吉一、もと子夫妻によって創設された。羽仁夫妻は雑誌『婦人の友』の創刊者でもあり、婦人の友社の社屋もこのすぐそばにある。自由学園は最初、キリスト教に基づく教育を行う女子のみの学校として作られたが、後に初等部や男子部が設けられる。そういうことは自由学園のホームページに詳しく書いてある。それよりも創設時の校舎が、当時帝国ホテルの設計のため来日中のフランク・ロイド・ライトによって設計されたことは、建築に興味を持つ者には広く知られている。

時間が無いので、詳しくは次回の記事に続ける。

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2007年7月14日 (土)

立教大学のキャンパス/つづき

大型の台風、台風4号が近づいている。幸いにして今日は土曜日だから会社へ行くこともなく、こうしてブログ記事をしたためているのであれば、俺は雨が嫌いではない。これが混んだ電車で都心へ出かけ、ネクタイもして、しかもズボンの裾が濡れていたりするというのでは、いっきょに話はサラリーマン無残の次第となる。だが今日はこうして、窓からは湿り気を帯びた涼しい風が入って来ており、そういう薄暗い部屋(こういう日こそ電灯を明々とつけるのでなく)で、一人静かにキーボードをたたいていると、なんかこう、生きる気力が蓄えられてくるように思う。

05立教大学のきれいなネエチャンじゃなくて、建物の話のつづきを書こう。

食堂へ向かう道にはその途中に藤棚があり、藤棚の向うに食堂入口が見える。ああ麗しき学生生活、とりわけ食事の場所はどんなに大事な場所であろう。 だいたい飯を食うという行為は、少々その人の本性が出ても許されるシチュエーションで、食事を共にすることで相手の人柄が見え、またプライベートなことも話しやすくなるという大事な行為だ。当然、食堂は大学の中では重要な施設である。一つの教育施設だと言ってよい。教室の中より食堂の中でこそ多分、より重要な人間形成は行われるのである。

06 近頃見た中では最も印象的な食事の場である。学生達もこの食堂で友人や先生と食事したことは、生涯の思い出となるのだろうな。建物としては、天井が高く、それだけで贅沢だ。今時、こんな風な食堂は作れない。いろんな規制の中で、目一杯床面積を取ろうとすると、こんなに天井を高くするのは無駄というものなのだ。また、構造体としてもどうしても金がかかってしまうだろう。だから天井が高いというだけで、これは本当に贅沢。けれども、こういう空間で毎日学生生活を送れる学生達は幸せであろう。現代の経済的理屈が人間の精神性を犠牲にしている・・というのは、建築の世界でも往々にして真実である。

07 「ツタのからまーるチャペールでぇ、祈りぃをささぁげた日ぃー♪♪」などと思わず口ずさむようでは、だいたい歳がばれる。ペギー葉山の「学生時代」という歌を知っているのは、50歳より上の人間だろう。このチャペルを見て、俺はまさにこの歌を、不覚にも口ずさんでしまった。

そうか、この教会のことだったのか、あの歌は。大学の中にあるツタのからまるチャペル。立教大学だったのかい。かの歌を覚えて数十年、やっと出会えたのである。

08 教会の中では、折しもミサをやっていて、さすがに入っていくのははばかられたので、外からこの、ネオゴシック風の窓を撮影させていただくにとどめた。

レンガはこういう風に積むのだぞ・・という見本みたいな積み方。今時、レンガ構造の建物は無いけれど、レンガタイルをコンクリートの壁に貼るときも、せめてこういう本物を参照したい。戦前のあるいは戦後のある時期まで、日本でも建築家の素養としてレンガの積み方が学ばれたようである。俺はさすがにそこまで古くない。だが、一応調べてみた。レンガの長手と小口を交互に積むこの積み方、フランス積みというのである。マーフィ・アンド・ダナ建築事務所というのは米国の設計事務所だったのだろうが、フランス積みを用いたのか・・・。一番エレガントな積み方だそうである。

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2007年7月 7日 (土)

池袋西口の辺り/立教大学

池袋西口を出て自由学園明日館を目指したのだが、道に迷ってしまった。この辺りの道は迷路のようになっていて、適当に歩いていると全然違う場所に出てしまったりする。

Photo_10 公園に出てしまった。どこだここは?とりあえず小便しておくか・・・と、入ったのがこの公衆便所。昔の公衆便所のイメージは、とにかく臭い、不潔。公衆便所に入る人間は慌てているのか、○○コが便器のまわりにべっとりついていたりして、そういうところで自分も○○コするのは、勇気が要ったよね。だが、この便所はよく掃除がしてあり、清潔であった。洗剤の匂いがした。その点は合格である。

デザインはどうなのか?公衆便所のデザインで感心したことはない。普段は脇役のトイレを主人公にした建物だからね、あまり一流の人が設計することはないと思われる。また、こういうのを名作に仕立て上げるのは至難の業であろう。この便所の場合は良い方だと思うよ。公衆便所・・これからも注目して行きたい。

さて、自由学園を目指していたのだが、この辺りで立教大学に向かう道案内を見つけたので、先にそちらに向かうことにした。

01_15 立教大学の正門前の通りを立教通りという。分かりやすい命名だ。ここらあたりは池袋駅前の猥雑感がやや薄れ、立教ボーイズ、ガールズの闊歩するシャレた街を装っている。とはいうものの、俺の評価点ではやっと60点ぐらいの感じで、欧米の有名大学の学生街とはまだ比べ物になりません。まず電信柱と電線、なんとかなりませんかね。

だが、立教大学のキャンパスはかなりいけてますよ。キャンパス内の女子学生のセンスが良さそうなのも評価点プラス。

02_5 まずキャンパス正門を入ると目に入るのが本館(モリス館)である。大正7年竣工ということで、90歳ぐらいの建物である。ご覧のように、敷地奥に向かって軸線がズーッと通っている。いかにもっていう感じだけれど、実際、奥への期待を抱かせる。この建物の前庭も古典的な左右対称の芝生の庭だけど、スケール感が良く、効いている。このモリス館、設計はマフィー&ダナ建築事務所ということらしいが、基本設計はJ.M.ガーティナーがやったと伝えられる。ガーティナーは教師として来日していたのだが、建築について造詣が深く、日本で幾つかの建物を設計している。建築は余技なのだけれど、上手い。

03 日本じゃないみたいな(これが褒め言葉だってことが悲しいね)美しいキャンパスだ。今の若い人だってきっとこういうキャンパスで青春を過ごしたいんだよ。

立教大学についてはもう少し写真がある。

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2007年7月 3日 (火)

池袋西口の辺りを歩く

仕事を休んで、池袋西口の近辺をウロついた。仕事を休んだのには一応理由がある。例の年金問題。俺も一つの会社にずっと勤め続けてきた訳ではないので、気になっていたのだ。社会保険庁のずさんな仕事ぶりが明らかになる前から気にしていたのだが、ここのところ年金記録を確かめるために社会保険事務所に人が殺到しているとの報道に恐れをなし、しばらく沈静化するのを待っていた。ようやく今日、自分の年金記録を確かめることができた。いや、社会保険事務所だけど、思ったより空いていたよ。すぐに終わった。そして池袋にね、ちょっとマーキングすることにした。

01_12池袋の西口を出た辺りはね、かなり猥雑な感じがあるんだよね。特に北の方。飲食店、パチンコ屋、風俗店などが入り混じっている。こういうところを普通の日にだよ、仕事を休んでうろついている・・・っていう感じが良いんだな。ただ、美的な意味ではひどいもんだよ。しかし、昔のことだけど、シカゴやニューヨークでこういう感じのところを歩くと、身の危険を感じた・・というか、危なそうな人がたくさんいて油断できない雰囲気だったけれど、日本の場合は、少なくとも昼間は、そういう危険な感じは無い。この頃治安が悪くなったと言われるけど、日本はまだまだ安全な国なんだろうな。新宿はどうかな。もうちょっと危ない感じ。でも午後9時ごろまでは大丈夫なんじゃない。ポン引きに引っかからなければね。

池袋を南に下っていくと目白に近づき、次第に上品な感じになってくる。そっちの方へ行ってみることにした。お目当てはある。立教大学と自由学園だ。01_14 だがその前に撮ったのが この写真。東京芸術劇場。

芦原義信、晩節を汚した作品。氏の代表的な著作「街並みの美学」が泣くね。芦原さんの全ての作品が悪いわけではない。駒沢体育館などは俺は嫌いではない。丹下健三のような天才的な切れ味は感じないが、芦原さんの育ちの良さみたいなものは伝わってくる。品が良いのである。

だが、この東京芸術劇場、品が無い。しかも巨大だ。ヤメテほしい。しかし建物は一度建ったらそう簡単に無くならない。そういう意味では、この次の写真の建物なども俺には許せない部類に属する。

02_3

東京都税事務所・・らしい。東京芸術劇場の向かいに道を挟んで建っている。誰の設計かは知らない。しかし、こういうのは結構名の知れた建築家の設計の可能性がある。ここに見えるのは自己顕示欲。これが建ち続けるのは犯罪的であろう。道を行く人々の目に否応なく飛び込んでくる醜悪。

これらの俺の嫌いな建物と、これから尋ねようとしている建物との違いこそ、建築に関わる者がよく観察しなければならないものだろうと思うのである。  つづく。

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2007年5月13日 (日)

旧朝香宮邸あんどWATERLINE

ゴールデンウィークだというのに、どこへ行く予定も無かった。上の娘は友達やボーイフレンドと忙しく遊びに出かけている様だが、下の娘はだいたいパジャマのまま一日中家にいる。何か絵を描いているようだが、こまごま聞くとうるさがられる。子供がある程度成長するとこんな感じで、それぞれがパラバラに時間を過ごすようになる。どこの家もこういうのだろうか。わからない。俺はというと、気になる仕事がいくつかあり、休みの日も何日かは仕事に出た。神経はあまり休まらない。

先週の日曜のことである。妻が、「一日ぐらいどこか行きましょう」と言うので、東京都庭園美術館へ出かけることにした。東京都庭園美術館、すなわち旧朝香宮邸である。結婚する前に目黒にしばらく住んでいたのだが、その時に一度行った記憶がある。それからもう20年以上経つ。本当に久しぶりに旧朝香宮邸を見ることになった。

01_10目黒の駅を降りて、方向を間違えそうになった。二十数年前には住んでいた町なのに、方向感が狂っている。人間の記憶とはかくもいい加減なものか、それともただ俺の物覚えが悪いだけか。後者かもしれない。昔から記憶力に自信が無い人間である。

旧朝香宮邸はアールデコの代表作と言われている。しかし、それは内装のことであろう。昔もそう思ったのだが、外観はさほどのことはない建物である。もちろん建った当時(昭和8年)は、宮邸にしてはすごいモダンな建物だったろうが、今見て、全体にこなれていない現代建築に見えないか。この立面、なんか下手な学生の宿題を見せられている感じが俺にはするのだが。

しかし、この建物、中が良いのである。フランス人デザイナーのアンリ・ラパンがデザインしている。アールデコの傑作といわれている。ただ今は美術館として使われている為か、中の写真を撮らせてもらえない。ウーン、悔しい。

02_2裏にまわると、このころの金持ちの家によくあるように、芝生の庭に面している。裏側の立面の方が俺は好きかな? 表のデザインはそれまでの様式建築の影響から脱しきれてない。脱しきれていないならいないで、そこをうまく構成して見せてくれると良いのだが、設計者がそれを意識できていないのではないか。ちょっと中途半端に思えるのだが、裏の方は一応、現代建築になっているように思う。ただ、同時代の世界的レベルからいうとどうだろう。凡作だろうな、やっぱり。

ここでは「大正シック」と名うった展覧会をやっていたので、それを見た。妻はそっちの方が関心があったみたいだ。

Waterline02目黒を後にして天王洲アイルにむかった。レストランT.Y.Harborで妻に飯をおごる約束だ。ここには運河に浮ぶ「WATERLINE」という船上レストランが付設されている。実はこの船上レストランは俺の事務所のN君が実施設計から監理までやったのである。構造設計はやはり事務所のI君がやった。I君はこの仕事が終わって半年ほどで会社を辞めた。そして俺自身はこの設計の統括ということで、最初の頃にいろいろ議論に参加したが、N君を担当に決めてからは大したことはしていない。でもまあ、妻に一応、俺の関わった仕事を見せようと思って連れて行ったのである。T.Y.Harborのパスタは美味かった。妻はすごい感激してくれたよ。だがWATERLINEについては、「ふーん」てな感じだった。大変だったんだぞ、建てるの(浮かべるの)。大変だったことについては、次回の記事にでも書いてみよう。

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2007年2月26日 (月)

何故犬なのか

このブログ記事で100件目である。記念すべき100件目だが、感動するようなことは何も無い。何故、犬のように・・何が犬のようなのだろう??俺は自分でつけたブログの題名なのに、その訳が判らず、しばし腕を組んで瞑目した。

そうそう、近所の梅林が満開である。昨日の日曜日に一人、林の中に入った。埼玉県内のどうということのない、おそらくベッドタウンの一つと呼ばれるだけの街に住んでいる。生まれ故郷の京都と較べると、どうにもこのあたりの地霊は影の薄い奴ばかりで、俺には物足らないのだが、この梅林は花の咲く頃に別世界となる。

01_3梅林のそばに建売住宅がある。下見板張り風の素人受けだけを狙ったようなデザインの家である。それが梅林の中から眺めると、童話の中に出てくる森の奥の家のように見えるから不思議なものだ。この梅林の向うの家がすごく現代風の、たとえば安藤忠雄のデザインだったらどうだろう。俺はこれに関しては、この建売住宅が意外に良いと思えている。

この梅林の他に俺が気に入っている近所の景色をもう一つ。

Photo_2このあたりの土地持ちの方だろうか。広い敷地の家である。そこの蔵は先の梅林の近くにある。この蔵の造形はどこでも見られるようなものなのだが、そばを通るたびに目を惹かれる。この情景が自分を魅惑するその理由をよく分析できていない。だが、自分だけでなく、多くの人がこの情景に心を惹かれるはずだ。そこには何かがある。

何故、犬のように・・なのか。そういうことなのだ。

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2007年1月14日 (日)

銀座一丁目二丁目の辺り

フィールズ賞とプリッカー賞は当たり前だけど違う賞である。その当たり前のことを間違う。俺も早くもボケが始まったか。昨日のブログ記事で槙文彦氏がフィールズ賞受賞者だと書いてしまった(もう直してあるよぉ)。プリッカー賞の間違いである。フィールズ賞は数学の賞。プリッカー賞は建築の賞である。ともにそれぞれの分野では世界最高の賞ということになっている。プリッカー賞の日本人受賞者は確かこれまでで3人のはずだ。丹下健三、槙文彦、安藤忠雄の3人である。この賞の歴史の浅さを考えると、3人は結構多い。日本人建築家が案外と世界的に認められていることの証明となる。だけど、国内では建築家ってのはかなり誤解された存在だ。それは建築家の側にも責任がある・・と俺は常々思っているよ。

昨日は土曜休暇の日にもかかわらず仕事に出た。会社に着く前に銀座一丁目、二丁目辺りを歩いた。そうしたら、銀座は裏通りに昔の銀座の面影をとどめていたよ。

Okunobld01

奥野ビルは今は画廊がたくさん入っている(その他は税理士事務所とか)が、元はアパートである。ちょっと前に朝日新聞に取り上げられていた。昭和7年の建設だが、いまだに現役である。しかも入居は空き室待ちの状態だという。

設計は川元良一だと言われている。川元良一は同潤会の初期のアパートを手がけた建築家として知られている。その人が独立してから設計したのが銀座アパートメントでつまりこのビルである。建物の中央にスリットがあるのは、二期に渡って建てられたもので、Okunobld02 写真の向かって左が第一期、それに増築する形で向かって右の半分が足された。スリットはその結合の痕跡である。今は、小さなベランダに置かれた鉢植えが育ち、ビル全体に迷宮の感を与えている。

だがこの建物、俺にはあまり良いデザインに思えない。むしろ凡庸である。ただこの頃の建物が持つ時間による熟成の味が人々を惹きつけるようだ。作詞家の西條八十もその昔このアパートに住んでいたらしい。「昔恋しい銀座の柳~」という歌詞で有名な東京行進曲を作詞した人だ。そういう意味では由緒正しい銀座の記憶を宿す建物である。

Yoneibld01

奥野ビルのすぐ近く、銀座二丁目になるが、ヨネイビルディングはある。昨日初めて見た建物で、ぱっと見、判断に迷った。昭和初期のものか戦後のものか。戦前のものにしては基壇部から上のデザインがあっさりしすぎている。しかし基壇部は十分に念入りのデザインである。三層構成のデザインだと思われるのだが、最上層は何の変哲もなく終わっている。家に帰って調べてみたら、やはり中層から上は改修されていた。元は中層から上が総タイル張り(おそらくスクラッチタイル)で、最上層もしっかりと存在していた。建築年は昭和5年。設計者は森山松之助、辰野金吾の弟子である。森山松之助は台湾総督府を設計した人である。俺はロマネスク調のデザインには結構弱い人なので、この建物は奥野ビルより気に入った。1階に有名な洋菓子屋の菓子レストランが入っている。今度は中を見てみたいと思う。でも一人じゃ恥ずかしいな。

Yomikobld01銀座一丁目角、中央通りに面して読売広告社本社ビルがある。設計は日本設計で、それも日本設計のエースデザイナー、淺石優の手になるものと記憶する。ヨネイビルには近く、1階のアーチはひょっとしてヨネイビルを意識したものだろうか。これがなければ美しくともただのガラスの箱。その意味では効いている。

淺石さんは日本設計の顔だけど、あまり組織で偉くなるタイプの人ではないらしい。まだ日本設計にいるのかな?

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2006年12月 9日 (土)

京大人文科学研究所

このところ休みの日といえども街に出てうろつくという、犬にとって基本的な行動を実践できていない。理由の第一はやはり忙しいということである。そうするとブログに書くネタもだんだんに少なくなって来る。ただ昔撮った写真も相当枚数あるので、そういうのをちょこちょこ使うことになる。

Tohobunka01_1

今日の一枚はこれ。京都大学の人文科学研究所である。お盆に京都に帰った折、京大周辺を探索したのだが、その時に撮ったものだ。実は俺もこの建物を実際に見たのは初めてだった。京都は自分の育った場所であり、今も盆や正月と、しょっちゅう帰っているのにね。若い人に、「建築は実際に見なくちゃだめっ!」などと偉そうに言えない。が、しかし、この建物、写真だけで知っていたよりは実際が相当良かった。お薦めの一品と言えよう。

Tohobunka02_1関係の無い方は入ってはいけません・・・って、もう入ってますけど・・。とがめられるまでは入って行く、便所を見つけたらとりあえず小便していく、というのは犬人間の習いだ。 写真を撮っていると”この建物に関係のある”方々が「こいつ何者?」ってな眼でちらちら見ていくが、かまうこたぁない。むこうは学者先生、こちらは土建屋。厚かましさでは負けるもんか。いや学者も相当厚かましいやついるけどね。

この建物の中庭、パティオってやつだな。あまり手入れされていないけど、井戸のデザインが凝っている。この建物は北白川の高級住宅街の中にあるのだが、建物がそういう環境とともに、京大人文研のユニークな研究を育てているのだろう。

Tohobunka03_1

建物のデザインは武田五一の指導の下、若き東畑謙三がやったと伝え聞く。東畑謙三というのは東畑建築事務所の創始者である。この建物の細部には若き建築家の渾身の作業が見て取れる。スパニッシュという様式はエネルギーがないとなかなか本物にならない。

失礼だけれど東畑謙三のデザインというのはこの建物以外は知らない。また東畑建築事務所というのも関西を中心に公共の建物を多く手がけていると思うが、あまり作品が思い浮かばない。東畑謙三はこの建物を設計した後、東畑建築事務所を大手の設計事務所に育てはしたが、建築そのものへの情熱は保ち続けることができなかったのだろうか?あるいは、この建物のデザイン、やはり武田五一の指導の故にこのレベルに達しているということにすぎないのか。そうなってくると、この建物設計時の武田五一と東畑謙三の役割分担というのが問題だが、今となっては分からない事なのだろう。

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2006年10月29日 (日)

2006年10月29日

ブログの記事を書くのはたいがい休みの日だ。普段はとてもそんな時間は無い。何とか週に1回、土日のどこかで新しい記事を書くようにしている。だが、休みのすべてが暇なわけではない。今週も宿題を家に持って帰っている。それというのが「組織目標の設定シート」とそれに伴った「人事評価シート」の作成である。組織に属していることがとてつもなく煩わしく感じるのがこういう時である。日々くたくたになって仕事をしているつもりである。俺の部署もご多分に漏れず人手不足だ。そういう人間にあれもこれもと課題を出させる・・いや作文をさせる。結果として出来上がる総花的施策。これで今直面している競争に勝てるとはとても思えない。学校秀才が考え出したような人事評価の仕組み。しかし、戦略的な思考の上にあるとは思えない。どうしてこうなるのか・・・。

組織というものは、特に大きな組織というものは、独創的な発想よりもミスをしないことを重視する。積極的であることより、落ち度が無いことが重要である。そのため、網の目を細かく、網を広くかけようとする。管理することが重視される所以である。そうして、目的が見失われる。管理そのものが目的化する。それは、自らを挑戦者と考える主体の取るべき姿ではないはずだ。・・・いや、もうやめよう。いいや、こんな話は。

Kawagoe01先日川越へ行った。久しぶりに行ったのだが、川越祭りとかで大変な人出だった。山崎邸とかいう川越の金持ちの邸宅で、市の迎賓館としても使われていた建物を公開するというで、その場所まで行ったのだが、まさに長蛇の列で、外だけチラッと見て帰った。負け惜しみで言うのじゃないが、外だけ見た感じでは1時間も並んで見るほどのものではない。大正期に建てられたものだというのだが、俺には陳腐に感じられた。川越ではやはり蔵造りの町屋が迫力があり、良かった。写真を撮ったのでせっかくだからここに載せておく。

Kawagoe02以上で今日の記事は終わり。これから夕食の支度にかかる。餃子を作るつもりだ。それと中華サラダ。日曜日は主夫している。

「オーイッ。今日の晩飯は餃子やて」

「アホッ。俺らこれでも坊主やぞ。肉はあかん、肉は」

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2006年9月 9日 (土)

大隈講堂-追記

Okumakodo06早稲田大学大隈講堂は大学の正門の外にある。また、大隈重信像のある大学構内メインストリートの軸線上にはあるが、角度が振られている。写真のように構内から見ると少し斜めを向いている。これは早大通りに沿う向きに講堂が配置されたからだが、その結果、安田講堂や京大時計台と大変違った印象を与えることになる。威厳のようなものはやはりあるけれど、強圧的な権威主義からは免れている。

Okumakodo07大学の正門を出ると、この斜めに配置された講堂前に広場があり、学生達が楽器の練習をしていたり、カップルが散歩していたりする。とても豊かで、落ち着いた都市の景観だと思う。

建物の姿の良さは説明不要だろう。また、ディテールの良さも百聞は一見に如かずだから、ここに二枚だけ写真を掲げておく。

Okumakodo08

細部まで丁寧にデザインされているのだが、素材の扱い、組み合わせなど学ぶべきところが多い。

正面のアーチは正確なゴシックのようではないのだが、わずかに尖塔アーチになっている。スクラッチタイルと石との取り合いには現代的なものを感じる。アーチの形状そのものは美しいとすなおに思う。

タイルの目地は深目地ではなく、斜め目地となっている。建て目地は小さくとってあり、したがって横方向が強調されていることになる。機能的な意味でこうなったのか、それとも美的な理由なのかはわからない。多分その両方の意味があるのだろう。

ここに最後に掲げる写真は、建物の目立たぬ場所にある窓である。このような窓が、脇役でありながら、しっかりとしたディテールを持っていることに、この建物の質の高さを感じるのである。

Okumakodo09

大隈講堂は大正時代初期において建てられた名建築である。この後も永く伝えていくべき文化財なのだ。そのように俺は思っている。