2008年6月22日 (日)

コクーンタワー/2008年西新宿

とある晴れた日のことである。俺は西新宿を何事もなく歩いていた。まったく油断していたと言えば油断していた。それは突然に俺の眼前に現れた。「な、な・・」と、俺はつぶやき、思わずあたりを見渡した。こんなものが・・大衆の目に堂々とさらされているのか。日本人もおおらかになったものだ・・いいやっ、羞恥心も地に落ちたものだ。俺の狼狽をよそに、皆何事もないかのごとく道を行く。

俺が大学に入って間もない頃、家族旅行をした。その時のことだが、どういうわけか親父が俺をとある秘宝館に誘った。自分一人で入るのが恥ずかしかったのか、それとも年頃の俺に親父なりの性教育を施そうとしたのか、よくわからないが、とにかくその秘宝館なるものに親父と二人で入った。色んな絵や写真もあったが、あれやあそこやに似た石や木の根っこなども展示してあった。そんなものに似ているのがどうというのか、俺にはさっぱり理解できなかった。しかし、そのような石や木が時には御神体になり、祭られたりすることもある。大概は安産や豊饒のご利益ありというふれ込みでだが。

02 この度の御神体、それは見事に天に向けそそり立っておる。それにまあ、これは書くのは憚られるが、書いておかぬと気づかない人もおるだろうから、羞恥心を捨てて書いておくと、この御神体はあれのように見えるだけではなく、あそこのようにも見えるのである。されば両性具有の御神体であったか・・・。

遥拝所と賽銭箱を設けるのなら、野村ビルの前辺りが良い。これほどの立派な御神体、日本の少子化にも歯止めがかかるかもしれん。はたして、東京モード学院はそこまで考えていたのか・・・立派だ。

惜しむらくは、足元に作られる予定の球体。何が入っているのか知らんが、一つじゃ足らんだろ。これは二つあるもんだ。

嫌いなのか?いや、好きだよ。けっこう好きな建物だ。ここまでやってくれるとね、面白いと思う。丹下健三亡き後、丹下事務所の最高ケッサクだ。丹下憲明よ、これで(血はつながっていないらしいが)父の丹下健三をやっと乗り越えた・・か。

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2008年4月12日 (土)

桜咲く頃のこと

メタボ検診なるものが始まるらしい。まことにおせっかいなことである。ウェストサイズ85センチ以上が成人病予備軍だとして、あれこれと指導を受けさせられるらしい。昨年、大学建築学科の同窓の輩がたて続けに2人亡くなった。まだ50代半ばである。2人とも俺よりはよほど痩せていたが、命の炎は早く燃え尽きてしまった。どうもウェストサイズ85センチなどというのが健康のバロメーターだというのが納得いかない。これを超える男性が病気になり易いなどというのが統計的に証明されているのだろうか。反対を唱える医師もいるということではないか。・・・などと言っても、犬の遠吠えである。

健康の為に、休みの日は自転車で遠出することにした。そのために自転車も買い換えた。そんなに高級なやつではないが、一応21段変速のギアがついている。風を切って走る感覚が快適で、これに乗って休日に走るのは楽しくないこともない。先週の日曜は天気もよく、朝から大宮の方へ出かけた。

200801しばらく走ると田畑もある。桜は盛りを少し過ぎているが、まだまだ見ごろである。この小川は用水路か?水面に映る桜がずっと向うに続く。かみそり護岸はいただけないな。その上の青く塗られた金網フェンスはなおいけない。転落防止のために・・というのは分かる。でもこういう方法しかないのだろうか。見慣れてしまえばどうということはない・・・か。安っぽい解決策に走る国民性が悲しい。

だが桜は美しい。この辺りは初めて来た場所だ。真っ直ぐな用水路、その水面に映る青い空と桜の並木。この季節、この花は醜い日本をそれでも慈しむがごとくに咲いてくれる。

 ゆくりなき 郷の桜を 訪ねけり

生まれ故郷の京都を離れ、関東に住まうようになっていつの間にか四半世紀。子供達はこちらで育ち、上の子は成人を迎えた。今でも俺にとっては京都が故郷だけれど、あと10年もこちらで暮らしたら、ことさら京都へ帰る気持ちは失せるかもしれないな。それも自然の成り行きだが。

200802

川の土手に咲く桜。実は、こういう景色は俺にとって日本の原風景で、だからこれは「俺が久々に見た日本の景色」という感じなのである。うららかな日差しの下、土手の桜はただ咲き、ただ散り行く。これを思うときの不思議な安らかさはどうだ。

 一山の 花を飾りし 小川かな

日本人はあちこちで日本の国土を雑然とした風景に作り変えてきたが、どういうわけかその代償行為として桜を植えてきたように思える。それで、こうして休みの日にちょっと自転車で遠出すると、有名では無いけれども十分美しい桜の花に出会えるのである。こういう田園風景の中の桜を愛でながら、ゆっくりとペダルを漕いでいると、「ああ、日本人でよかったな・・」と思えて来るので、俺も相当に単純な人間である。

200803

土手に上がり、桜並木にそって進む。これだけの見事な桜だというのに、それほど人に出会わない。日曜日の朝まだ早いからか?でもいいなぁ。贅沢だなぁ。金も使わずにこういう気分を味わえる。休みの日といえど早起きしてみるものである。

 陽の在り処 土手の上なる 桜木の下

メタボ検診、俺の場合かなりきわどい。

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2008年3月30日 (日)

麗しのキャンパス?/同志社

同志社大学の今出川キャンパスのことを続ける。

01

重要文化財に指定されている有終館。「有終の美を飾る」の「有終」だ。元々は図書館であった。それが新しい図書館ができたので、その役目を終えた・・ということから「有終館」と名付けられたらしい。この建物に限らず、同志社大学の建物は何かしら名前が付いている。黒色の煉瓦と白い石の帯がアクセントになっていて、遊び心が感じられる。建物の設計時には米国からの派遣宣教師が指導したと、建物正面に貼り付けてあるパネルに書いてあった。その宣教師の名前までは記してない。明治18年(1885年)に定礎が置かれ、2年後の明治20年(1887年)に竣工している。

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有終館の南側外壁詳細です。

なかなかに凝ったデザインで、良いと思う。19世紀末に建てられた建物として革新的なものはないかもしれないが、軒蛇腹のデザインや柱の面取り、あるいは窓下の腰壁が黒煉瓦を交えた斜め張りになっているところなどは見所である。この建物の設計者はこの建物が皆に愛されることを願っていたんだろうな。そういうことが感じられる建物である。

この当時、米国の宣教師や伝道師は、キリスト教の布教と同時に、西洋建築の技法を日本に伝えることにおいて相当重要な役割を果たしたらしい。W.ヴォーリズは20世紀前半に建築家として実に多数の建物を日本各地に残したが、元々は伝道師を兼ねた英語教師として来日している。ヴォリーズの建物はファンが多いと思う。こんな優秀な建築家が20世紀前半に日本に住みついて、数多くの名建築を生み出したことは奇跡的なんじゃないかな。ま、これは余談だが。

01_2

次の建物はクラーク記念館だ。これは同志社大学のシンボル的存在で元は神学館として建てられた。やはり重要文化財に指定されている。ドイツ人建築家R.ゼールの設計で、明治26年(1893年)に竣工している。ドイツ人らしい重厚館のある建物で、美しい。

建物玄関の前にある説明書きには「ドイツ・ネオ・ゴチック調」とあるのだけれど、これって正しいの?全体の印象はロマネスクに思える。ネオ・ロマネスク。ただ、俺は西洋建築史の専門家じゃないからね。

時代から言えば、そろそろ過去の洋式建築からの離脱が始まる頃。しかしそういう歴史上での位置づけは抜きにして、よくできていると思う。ずっしりとした存在感で、構成がしっかりしており、本物の匂いがする。中も見たいのだが、黙って入るのは憚られる。2階には礼拝堂もあるらしい。

01_3もう一つ写真入れておこう。ハリス理化学館だ。

アメリカ人実業家J.N.ハリス氏の寄付金で建てられた建物で、設計は英国人建築家のA.N.ハンセル氏。1890年(明治23年)の竣工である。これも重要文化財指定である。

全景を撮るには木が邪魔になる。でもこうして見ると、綺麗なキャンパスだね。ただ、こういう建物が、キャンパスの主たる構内道路に面してまるで展示品のように行儀良く建っている。それがやや俺には物足りない。これらの建物で構成される同志社大学今出川キャンパスは、魅力的であると同時に排他的である。attractiveであると同時にexclusiveであるというのはどういうわけか?

大学のキャンパスというのは一つの街のようなものだ。その構成や意味を問い、解釈していくのは都市を問うことと似ている。一つはっきりさせておこう。都市は建築の陳列場ではない。

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2008年3月23日 (日)

同志社大学今出川キャンパス

Photo_2同志社大学の今出川キャンパスは、同志社大学発祥の地である。今出川通りの北側に位置し、通りを挟んだ南側には御所、北側には相国寺があり、航空写真で見ると実に緑が多い所で、大学の立地としては申し分ないように思えるのだが、実際に行って見るとちょっと印象が違う。御所にせよ同志社にせよ、構内に入ればそれなりに落ち着いた雰囲気になるのだけれど、それぞれの繋がりというものが無い。御所、同志社、相国寺という3つのエレメントがただ隣り合っているだけで、ばらばらな感じを受けるのはどういうわけだろう。このあたり一帯の魅力を増すには、これらの場所の連携を強化する必要があるように思う。

写真で見れば分かるように、御所の側も大学の側も歩道が狭すぎである。このため、御所も同志社も構内に入れば貴重な都市の緑があるのだけれど、その外を歩く人達はゆっくりとこの都市空間を楽しむことができない。同志社大学の塀も問題だ。普通で言えば、漆喰で塗られた土塀は「さすが京都」と褒められるべきかもしれないが、この狭い歩道に面して歩行者に圧迫感を与えているのは考え物である。古ければ良いというものでもない。そもそも同志社大学は、この今出川通りに対して裏側を見せる構えなのである。しかし、もし俺がこのあたりの景観を改良する提案を求められたなら(それはあるわけもないが)、この同志社キャンパスが今出川通りに放つ裏感覚を何とかして打ち破りたいと考えるだろう。

Photo_3

同志社大学の構内である。

メインの構内道路に面して、いくつもの外装煉瓦の建物が並ぶ。また各々の建物の主玄関はこの構内道路に面する。かくのごとく、このキャンパスは基本的に内向きである。ただし日本の大学は一般にこの傾向が強いのであり、このキャンパスだけを責めているわけではない。

同志社大学今出川キャンパスには重要文化財に指定されている建物が5つある。いずれも煉瓦の外装であり、著名な建築家の設計ではないが良くできている。ある様式というか、文法に従ってデザインすれば、相当のレベルまで質が得られるということの証明になるだろう。こういう時代の建物は、才能のある人の手になるものとそうでないものとの差は小さいのかもしれない。また都市景観的な観点からすれば、文法があるということによって全体の秩序は間違いなく保証される。それを今求めてもしょうがないのだけれど。ではどうすべきなのだろう・・・?

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2007年12月15日 (土)

2007年12月15日天気晴朗にして

実はこのところブログを書くのがしんどいのである。「しんどい」というのは関西の言葉で、疲れる、つらい、という意味である。理由は二つあって、一つはとにかくやらなければいけないことがたくさんあって、時間が無いということ。もう一つは書くネタが無いということである。二番目の理由は更にその理由があって、外をぶらぶらと出歩かないからネタが拾えないということである。それというのも時間が取れないからだから、結局は時間が無いということに収斂してしまう。ネタがなければ同じようなことを繰り返すしかないので、これは俗に言う繰言ということで、症状としてはボケ老人に近くなる。俺はまだボケるほどには歳をとっていない。時々知っているはずの人の名前が出てこないことがある。それはたいがい前の日に飲みすぎた酒のせいで、歳のせいではない。朝、降りるべき駅で降りず、二つほど過ぎた駅でそのことに気が付く、いや正確に言えば目覚めることがある。それは降りるべき駅の三つ手前で、立っている俺の前の席に座ってた奴が電車を降りたためである。立っている自分の前の席が空き、そこに座る。日頃の仕事で疲れている俺がそこでついウトウトと寝てしまったところで、誰が俺を責められるだろう。据え膳食わぬは男の恥、空き席座らぬはオヤジのやせ我慢である。

ネタが無いので読んだ本のことなどを書くことになる。あの本について書こうか。あの本とはアレックス・カーの「犬と鬼」のことだ。これはちょっと根性が要る。今はやめとこ。もうちょっと気力が充実している時に書こう。

Photo写真一枚載せとこう。

鳥越神社の近くで撮った。撮り貯めた写真の中の一枚だ。こういう街の風景がなかなかにすごい。それにこの建物、うまく再生すれば人を呼べそうじゃないか。

こういうのが古い建物、無名の建物の力というものだね。ゲニウスロキ。地の霊よ目覚めよ、目覚めて再び時を刻めよ。

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2007年12月 8日 (土)

東京中央郵便局について追記

少し前に、保存が取りざたされている東京中央郵便局の建物について書いたが、その後、朝日新聞に少し詳しい記事が出ていたので、それについて記録しておく。

記事が出ていたのは11月27日の朝日新聞朝刊である。「名建築・東京中央郵便局舎に超高層化の危機」と題されている。

この建物の保存云々のことが話題になったのは、この建物を壊し、高さ200メートル、床面積約19万平方メートルの超高層ビルを建設しようという計画が、日本郵政から発表されたことに端を発しているようだ。そして日本郵政は郵政民営化で誕生した会社であり、つまり名建築・東京中央郵便局舎の危機は、小泉改革の波によって迎えた危機だということになる。だが、朝日の記事によれば、この新ビル建設には870億円の資金が必要とされており、その資金の多くは借金で賄うという、かなりリスクの高い事業らしい。だから、自ら巨大ビルを建てるより既存の建物を保存し、空中権つまり余剰の容積率(その土地で法的に建てられる建物の床面積の余り)を他の近隣ビル建設に転売すれば、日本郵政自身はリスクを負わず、確実に収益を得られる・・・というのが朝日の記事の論調である。

日本郵政は民営化後、不動産ビジネスに意欲満々で、三井不動産と三菱地所から人材を迎えたということだ。東京駅周辺では幾つかの新しい高層ビルがここ10年の間に次々と建っている。最近できた新丸ビルでは家賃が坪あたり5万~6万円とも聞く。この家賃相場が本当であり、今後もこの家賃相場で推移するなら、借金してもビルを建てることは経済原則にかなっている。加えて、東京駅周辺では既に丸ビルや新丸ビルなど次々に建物が建てられ、日本郵政が空中権を転売しようにも、それを買ってくれる適当なビル建設計画が中央郵便局舎の敷地周辺にはもはや残っていないのではないか?・・と思える。このビジネスが本当に危険なのか、あるいは金の卵を産む鶏であるのかは、この新聞記事から簡単に読み取れない。

この朝日の記事からもう一つ知ったのは、吉田鉄郎設計のこの東京中央郵便局舎を褒めたとされるブルーノ・タウトの言葉だ。「明朗で純日本的」「西洋の有名な建築の後塵を拝している点はいささかもない」と評したとされる。おそらく、当時の日本の建築の中では、非常に清新な雰囲気を持った建物であったのだろう。そのことは現在この建物を実際に見ても感じられることである。だが、西洋の有名建築の後塵を拝していないまでも、先頭集団に入っているとも思えない・・・という俺の評価は変わらない。ようやく、日本の現代建築がこういうモダニズムの表現を破綻なくこなせるようになった・・ということを、タウトは評価したのではないだろうか。

建物に対する評価とは別に、俺自身はこの東京中央郵便局舎は保存した方が良いと思う。だが、その一番の理由は、ここに超高層ビルが建つことによって、東京駅の景観が損なわれるということである。単体の建物の保存問題として論ずるのではなく、東京駅周辺の景観がどうあるべきか・・・という議論があってしかるべきなのではないか。そういう議論が聞こえてこないのはどういうわけなんだろう?

以上、朝日新聞の記事を読んで考えたことをダラダラと書いた。

ここのところ、またひどく忙しいのだ。年末だからね、いつものことである。こういう時は、慌てず、一つ一つ着実に片付けていくのが良い。焦ってはいけない。平常心これ道なり。朝にはこのように思う。しかし夕方には何も片付いていないのに気が付く。いやいや、片付いていないのは俺の段取りが悪いからである。明日には体勢を立て直し、ふたたび平常心を取り戻すであろう。そうして一週間は瞬く間に過ぎ、やはり何も片付いていない。これは俺が時間を使うことにまだまだ未熟だからだ。週末の深い反省の基、来週には一つ一つ片付けるであろう・・・。あぁ、そうして年末が過ぎていく。

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2007年11月18日 (日)

吉田鉄郎の建築

先週のことだが、姉が大学の同窓会やなんやかやで東京に出てきた。日曜の夜には京都に帰るということで、帰る日の夕方に少し早い晩飯を丸の内のあたりで一緒に食べることにした。この頃は陽も早く沈むので、5時前にはもうすっかり夕刻の雰囲気だ。夕暮れの丸の内を少しの時間だが眺めまわした。この辺りはここ10年ぐらいで随分変わって、現代的なビルが林立する情景になっている。常日頃、俺は新しい開発を批判しがちなんだけど、丸の内周辺のこの変化は嫌いではない。東京の表玄関としての丸の内は、なかなか良くなってきたと正直思っている。これで東京駅の姿が建築当初の形を復元できれば、世界の他の大都市の表玄関と較べても、けっこう良い線行っているのじゃないかと思う。

Photo_2 昔の逓信省営繕部は今のNTTファシリティーズの源流になる組織で、山田守や岩元禄などの優秀な建築家を擁した名門である。吉田鉄郎もそうした建築家の一人で、東京駅のそばにある東京中央郵便局はその代表作といわれる。

この東京中央郵便局が取り壊されるかもしれないという話がある。建築学会などを中心に、保存の要望が出ているようだ。これについては、「残せるものなら残した方が良い」というのが俺の気持ちだ。どうしても残さねばならない・・・という程ではない。東京生まれの人間でないのでよく分からんのだが、これが無いと丸の内という場所のアイデンティティが損なわれるという・・・そういうことは無いんではないかと感じている。建築や都市に関係が無い人達もだいたいそういう意見なのではないだろうか。

建築の作品としてこれが名建築と言えるのか?・・・についても、正直、評価が難しいと思う。1931年に完成し、かのブルーノ・タウトがモダニズムの傑作と称えた・・というのだが、どうなんだろうね。このブログでは、自分の感覚でしか物を見ないことにしている。誰が何と言おうと、ピンと来ないものはピンと来ない。確かに悪くはないけれど、世界に目を転ずれば、1930年にはコルビジェ設計のサヴォア邸が完成し、1933年にはアルヴァ・アアルト設計のパイミオのサナトリウムがその美しい姿を現している。Cpscott この東京中央郵便局と同様のシンプルなグリッドによるファサード表現は、ルイス・サリヴァン設計の百貨店カーソン・ピリー・スコットに見られ、しかもどう見てもこちらの方が完成度が高い。カーソン・ピリー・スコットの完成年は1904年だ。

結局、当時の日本の近代建築のレベルはその程度だったのじゃないか・・・と思うんだ。ブルーノ・タウトが「モダニズムの傑作」と評したというのは、日本を案内してくれた吉田鉄郎に対する多分に社交辞令的なものだったのではないか・・・と疑えば疑える。

だから壊してよいとは思わない。この東京中央郵便局の建物が、丸の内という場所の記憶に重要な位置を占めているのなら、それはやはり保存の道をさぐるべきだとは思っている。

Photo

京都にも吉田鉄郎の作品がいくつか残っている。京都中央電話局上京分局は1924年の完成で、東京中央郵便局より古い。こちらは「カーニバル・タイムズ」という名前で、レストランおよび結婚式場として改修利用されている。中には入ったことないが、外を見る限り、鴨川にかかる橋のたもとに堂々とした存在感を示している。これは残したい。

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2007年11月 4日 (日)

京都という都市の生き方

一つのことに集中できないタイプの性格である。あれやこれやと手を出しては、中途半端に投げ出す。自分のことを言っているのだが・・・。だから大成しないのかもしれんな。

中学生の頃に、周りにギターを始める奴らがいる。それで俺もギターをやりたいと思ったが、どうもあの、コードを覚えてジャジャーンとやるのは好きじゃない。ナルシソ・イエペスの「禁じられた遊び」というのを聞いて、あーいうのをやりたいのだが、それならマンドリンで近い感じが出せるだろうと実に安易な考えで、親にマンドリンを買わせた。2ヶ月ぐらいは練習したが、まあ続いた方だ。それから、10年も経って、フランス人の友達がすばらしく上手にフルートを吹くのを聴いた。プロの音楽家でもない化学が専攻の男が奏でるメロディーに感動した。それでまた、親にフルートを買わせた。結婚した時に、これは持って行けと、親からそのフルートを押し付けられた。爾来、自分の家の押入れの奥にしまってある。当時10万もしたそうだ。このフルートはまともな音を出してもらったことが無い。「フヒェー」という、「風邪でもひいたんか、爺さん」みたいな音しか、ついに出してもらえなかったフルートが不憫である。

京都の景観というのは、俺のそういう苦い経験からすれば、集中すべきこの一点である。これをうまくやらなければ、京都は世界に誇れる街になれない。人の才能も様々、企業の持ち味も色々。小泉元首相も「人生いろいろ」と言ったではないか。都市も同じである。京都が東京になる必要は無い。むしろ京都が「他の街と違うところは何か?」をはっきりとさせ、そのことを自分達の強みとして育てていくのが、経営理論の教えるところである。京都が景観の問題でしくじれば、そう時間を経ずして、他所と変わらぬ「ただの人口100万都市」になるだろう(もうかなりつまらん都市になりつつあるのだろうが)。

01 朝日新聞2007年11月1日朝刊には京都に於いて、この9月に以前より厳しい「新景観政策」が開始されたことを報じている。これにより、京都市の市街地ほぼ全域で建物高さは31m以下(以前は45m)に抑えられる。市街中心部の幹線道路内側では更に厳しく、15m以下となる。また、市街地のほぼ全域を景観地区や風致地区に指定し、屋根は傾斜屋根として瓦か金属板で葺くことになる。これらの規制が、私の財産権を制限していることになるというのは、その通りだ。おそらく京都の住民の中でも、建設や不動産に従事している人はもちろん、自分の住んでいる土地の値段が下がると危惧する人も、この規制が京都の経済に悪影響を与えるだろうと批判するかもしれない。だが重ねて言うが、マクロ的に見るならば、京都の生きる道は、「その特色を強調していくこと」につきる。それがこの街のとるべき戦略というものである。

上の写真は西陣の中心部、大宮通沿いの街並みを撮ったものだ。観光客が訪れているのも窺えるが、街は古い町屋のデザインを踏襲したものから、新建材に覆われた建物まで混在しており、かなり混乱した印象を与える。遠くにはかなりの高さのマンションも見える。電信柱、電線の醜さはここでもひどい。

02

少し離れた場所には、このように新しい3階建ての木造住宅が並ぶ。住んでいる人達には悪いが、これら新建材で包まれた「新しいデザイン」の住宅は、まったくの景観破壊と言うしかない。写真ではこれらが古い街並みを侵食しながら建てられているのが見て取れるだろう。これらの新しい住宅も、新たな高さ規制、傾斜屋根の基準はクリアできる。京都市の新しい規制によっても、なお京都の街並みを守るのには不十分だと、俺が考える所以である。

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2007年10月21日 (日)

東京のアジア

01 清澄通りを深川から両国の方にぶらぶら歩いて行くと、清澄公園というのが道路の左側にある。東京という都市の中での貴重な緑だが、中に入ろうとすると入場料を取られる。この程度の庭に、けっこうな入場料を払ってまで見ようという心とフトコロの余裕を持ち合わせていないものだから、その公園の東側を歩いて両国へ向かった。そうするとどうだ、この公園の東側、つまり道路側には奇妙な建物群、いやいや群ではなく連なっているのを発見した。

写真で見るといくつもの建物が建ち並んでいるように見えるかもしれないが、これはもともとは一棟の建物だ。つまり長屋になっている。そうして今は塗装で塗り分けられている。それだけでなく、塗り分けたそれぞれの部分は、住み手によっていろいろ付け加えられているようだ。屋上部分にも、それぞれ建て増しているのがわかる。もちろん違法だろうが、行政も今さら何も言わないのだろう。これらの建物の裏側は清澄庭園である。どういう経緯でこのようになっているのか?だが、都市景観としてはなかなか味がある。こういうのアジア的・・と思うんだけど、どうかな・・現代東京の中のアジア。生きられる空間・・と、言っても良いな。

02 近寄って見上げてみた。オォッ!デザインしている。これ、その誕生の時は、それなりの建築家が関わっていたんじゃないの。

だがこの写真を撮って一月、いまだに調べはついていない。

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2007年10月13日 (土)

楳図かずお勝ったどぉ

10月13日土曜の朝の新聞を丹念に読んだ。幾つかの記事について書きとめておこう。

黒川紀章が亡くなった。年齢は73歳だから、今時の平均から言えばまだ若いだろう。この人のことはまた時間のあるときに書こう。妻である若尾文子との最期の会話は、ちょっと感動もの。

漫画家の楳図かずお邸の建設差し止め請求に対して、東京地裁が結論を出した。近隣住民2人による訴えは却下されたのである。近隣住民2人は、計画の建物外壁を赤と白のストライプで塗るなどの「奇矯な」デザインは景観破壊であるとし、耐えられないと訴えたのだが、裁判所は、そんなもんは個人の自由なので、法でその自由を縛ることはできないと、我ら民主国家として当然の結論を下したわけである。人のやることにいちいち口出しをする近所のババア二人も、この国における自由を尊重する気風を深く学び取ったことであろう。第一、楳図かずお氏が計画しているこの家は、彼の作品なのである。何が作品かって?作品というからには、「作られた品」のことだから・・・まさか、芸術作品のことだとかってに思い込んではいないだろうな。要するに、この国ではどんなものを作ろうと作品であるから、それを近所のババア二人ごときに阻止されるいわれは無い。

今朝は愛犬キャロを連れて散歩に出、道端の芝生の上にウンコをさせた。太さと言い、艶と言い、みごとなウンコである。この小さな犬がかくも立派なウンコをするのは、飼い主である俺が愛情を注いで餌を食わせているからだ。してみればこのウンコは俺の作品である。そのまま道端に残してみんなに見てもらうことにした。見たく無いって?なんて失礼な。だったら見ないようにしろ。これは私の「作品」であって、表現の自由はユ・ズ・レ・ナ・イ。

Hal 筑波大学教授の山海嘉之さんが開発したHAL。人が装着することで、筋肉を補助する。重いものを軽々と持ち上げられるので、介助の現場などでの利用が期待されている。こういう人と機械と情報技術を融合するテクノロジーを「サイバニクス」と呼ぶ。覚えとこぅ。以前にテレビで紹介されているのを見て、「面白いなぁ」と、思っていたのだが、山海さんはこの技術を実用化するため、ベンチャー企業「サイバーダイン」を立ち上げている。大和ハウス工業が主な出資者だそうだ。良いとこに目をつけてるよ。さすがだ。

山海教授の言葉。「サイバニクスを思索していたころから、一本、筋を通したのは人を支援する技術という、その一点だけ」。学ぶべし。

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2007年9月29日 (土)

京都の景観/西陣

200701 夕日が沈む直前に夕日に向かって空を七分、建物を三分の割合で写真を撮ると、ドラマチックな写真になるというのでやってみた。なかなかいいぞ。手前の伝統的な町屋の前も横も、新建材で建てられた新しい家に囲まれている。手前の古い町屋を引き立ててくれている。空を縦横に横切る電線はどうだ。アブストラクトな模様がクールだ。何時空を見上げても、この電線でできた抽象美を楽しめるのは、戦後一貫して日本国中に電線を張り巡らせてきた技術者達のおかげだ。このおかげで日本国中、電気が自由に使える。道に面した駐車場・・というか、駐車場に挟まれた道。京都だって車は必要だ。これは文明の象徴だぞ。この国がいかに文明国になったか、世界中に知らしめようではないか。世界中の人に見てもらおう!!これが、世界に誇る日本の歴史都市、京都、その西陣織で有名な西陣だ。どうです、手前の伝統的家屋。現代的な物達に囲まれて、その美しさが際立っていません?

我々はかく鈍感になり、その遺伝子は次世代に継がれつつある。

200702 すでにかなり有名な三上長屋を訪れた。日も暮れかけるこの時間、外からランドセルを背負った男の子が帰って来るのに出くわした。自分の子供の頃に出会った気がして、懐かしさで涙が出そうになった。本当はこういう人が住んでる場所に、他所から来た人が大勢見物に来るというのはどうかと思う。しかし、敢えて見に来てもらいたい。大勢来るということが、この場所への賛成投票になると思うから。

200703 時間はあまり残されていない。この三上長屋のすぐ隣には、この写真のように木造モルタル3階建ての住宅が並ぶ。またすぐ近くにもやはり、こういう建売住宅が建設されつつあった。このような住宅を作り、売り続ける人たちがいる。商売は自由だ。だが、おそらくその人たちには西陣という場所に対する愛情は無い。

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2007年9月24日 (月)

黒胡麻担々麺/門前仲町

01 「万豚記」という店がチェーン店とは知らなかった。建物に引かれて門前仲町店に入った。店員も全員中国人のようで中国語が飛び交っていた。それですっかり日本に在住の中国人がやっている店に違いないと思ったが、際コーポレーションという会社が展開している四川料理の店だということは後で分かった。この会社は日本料理やイタリアンなど様々のレストランを運営している。なかなか店作りのうまいプロ集団のようだ。この万豚記も店員を全員中国人にしているのは意図的であろう。

02 のれんが可愛いよね。「らーめんいただきます」か・・じゃ、いただきます。

豚が楽しげにラーメン食っている。間違ってはいけないが、店の中では豚を食わせているので、豚が食っているわけではない。だから豚が楽しそうに描かれているのはもちろん嘘だな。もっともこののれんの絵を見て、中で豚がラーメン食ってると思う奴はいないだろうが。

03 黒胡麻担々麺。なかなかの面構えで出てきた。ここの担々麺はこってりし過ぎと嫌う人もいるようだが、俺はけっこう美味しく食った。10点満点で8点ぐらい。腹減ってる時に近くを通ったらまた入ると思う。強めの辛味噌味が麺にからむ。大量の黒胡麻が香ばしい。汗が噴出した。

チェーン展開している店ではあるが、古い建物を再利用し、この深川の街に、下町らしい雰囲気を醸し出しているのはGOODだ。堅苦しい言葉で言うと「地霊」またはゲニウス・ロキ。軽く言うとコンテキスト。そういうの、街のデザインに於いては「個性」以前に尊重した方が良いと思う。

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2007年9月 2日 (日)

楳図かずおの家/建築における自由

特段の理由も無く気持ちが沈んで、何もやる気がなくなる時がある。それも休日にそうなることが多い。忙しい日が続いた後にそうなりやすいようだ。愚痴になるけれど、忙しいのは大概つまらない(と言ったら怒られるかもしれない)雑用のせいだ。盆明けからこの2週間ほど、建築業界の某協会から来ている複数のアンケートに回答することや、前期の(7月から新しい事業年度に入っている)支店の受注に関するデータを集計すること、あるいは部下に人事評価のための目標を立てさせる・・という、この時期に特有の仕事が普段の仕事に加わった。業界のアンケートの回答を8月31日、締め切りぎりぎりに送付した後、何とも言えぬ虚しい気持ちになった。その気持ちを引きずったまま土日に入った。

Photo その土曜の朝の新聞で漫画家・楳図かずお氏が建てようとしている家についての記事を読んだ。近隣の人達が建築中止の仮処分を東京地裁に求めているその家は、外壁を赤と白の横ストライプに塗る計画である。楳図かずお氏は普段から赤と白の縞柄のシャツを着たりしており、それを彼のトレードマークのようにしている。その色の組み合わせが好きなんだそうだ。建設予定地の近隣の人々は、その外壁の計画に対して、「乱痴気」であり「身の毛もよだつ」建物であり耐えられない・・と、訴えているのである。楳図氏はそれに対して、「家は作品」であって「あんまり普通すぎても世間への貢献にならない。表現の自由は譲れない・・」と話しているということだ。この記事を読んで、俺はしばらく考え、二人の人物の言説を思い出した。一人はアレックス・カーであり、もう一人は妹島和世である。

アレックス・カーは俺より少し年上の日本に在住する米国人で、「美しき日本の残像」や「犬と鬼」という著作で知られている。「犬と鬼」の方は俺もこれから読もうとしているところだが、「美しき日本の残像」の方は先ごろ読み終えた。あまりにも美を価値の上位に置きすぎているのではないか・・と思えるところもあるが、大体においては俺が相当若い頃から抱いていた日本の景観に対する評価を、外国人の目から見てもそうであったかと裏付けている。要するに日本の景観は都市も、農村も、いや京都ですらもはや美しくはなく、むしろ醜さに拍車をかけている・・という事実の指摘だ。一例を引用しよう。

京都と奈良を色々と遊び回りましたが、それは目の前で破壊されつつあります。特に京都の場合、その破壊は凄まじいものであって、「今の日本人は昔の美に対して何らかの恨みを持っているのではないか」と思えるようになりました。

右の話のつまるところは、日本の自然と日本の伝統文化はもう駄目だという結論です。

もう駄目だと言われても、我々日本人はここに住み続けるしかない。確かに諸外国を訪れてみて、日本に目を向けると、日本人は実に色んな実用的理由をつけて、貴重な景観を破壊していることに気が付く。便利であること・・は大事だけれど、例えば赤ん坊を育てる時にロボットが授乳してくれるのならば、それを買って赤ん坊のそばに置くのだろうか?戦後の日本では美しいことはいつも無駄であり、金をかけてまで守るべき価値ではないのだろう。俺には人が生きる場所に対する愛情の不足と思えるが。

それから、表現の自由は守らなければならない・・という言説は本当に正しいのだろうか?便利であること、表現が自由であること・・これらを理由に、日本の景観はどれだけ情けなく毀損されてきただろう。建築家はどれだけそのような景観破壊に手を貸してきただろう。表現の自由のために。もういい加減に気が付かなければならない時期なのだが・・・。

妹島和世の名を出すのは、彼女が唯一悪いからではない。彼女は正直言って、我々世代の建築家の中ではやはり、稀有の感覚(あえて才能と言わない)を持った人である。ここで彼女の名を出すのは、先日何かの記事で、彼女が「『建築は自由である』ということを伝えるのが自分の建築の目的」だと考えているらしい・・ことを読んだからである。はたして建築は自由なのだろうか。「建築は自由である」という言葉はとても英雄的に響き、ほとんど反論できないほどである。だけれども疑わなければならない・・と俺は思う。もしそれが正しいのなら、それは楳図氏の言う「表現の自由」と、理論上どこがどのように違っているのだろうか。俺には分からぬ。

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2007年7月14日 (土)

立教大学のキャンパス/つづき

大型の台風、台風4号が近づいている。幸いにして今日は土曜日だから会社へ行くこともなく、こうしてブログ記事をしたためているのであれば、俺は雨が嫌いではない。これが混んだ電車で都心へ出かけ、ネクタイもして、しかもズボンの裾が濡れていたりするというのでは、いっきょに話はサラリーマン無残の次第となる。だが今日はこうして、窓からは湿り気を帯びた涼しい風が入って来ており、そういう薄暗い部屋(こういう日こそ電灯を明々とつけるのでなく)で、一人静かにキーボードをたたいていると、なんかこう、生きる気力が蓄えられてくるように思う。

05立教大学のきれいなネエチャンじゃなくて、建物の話のつづきを書こう。

食堂へ向かう道にはその途中に藤棚があり、藤棚の向うに食堂入口が見える。ああ麗しき学生生活、とりわけ食事の場所はどんなに大事な場所であろう。 だいたい飯を食うという行為は、少々その人の本性が出ても許されるシチュエーションで、食事を共にすることで相手の人柄が見え、またプライベートなことも話しやすくなるという大事な行為だ。当然、食堂は大学の中では重要な施設である。一つの教育施設だと言ってよい。教室の中より食堂の中でこそ多分、より重要な人間形成は行われるのである。

06 近頃見た中では最も印象的な食事の場である。学生達もこの食堂で友人や先生と食事したことは、生涯の思い出となるのだろうな。建物としては、天井が高く、それだけで贅沢だ。今時、こんな風な食堂は作れない。いろんな規制の中で、目一杯床面積を取ろうとすると、こんなに天井を高くするのは無駄というものなのだ。また、構造体としてもどうしても金がかかってしまうだろう。だから天井が高いというだけで、これは本当に贅沢。けれども、こういう空間で毎日学生生活を送れる学生達は幸せであろう。現代の経済的理屈が人間の精神性を犠牲にしている・・というのは、建築の世界でも往々にして真実である。

07 「ツタのからまーるチャペールでぇ、祈りぃをささぁげた日ぃー♪♪」などと思わず口ずさむようでは、だいたい歳がばれる。ペギー葉山の「学生時代」という歌を知っているのは、50歳より上の人間だろう。このチャペルを見て、俺はまさにこの歌を、不覚にも口ずさんでしまった。

そうか、この教会のことだったのか、あの歌は。大学の中にあるツタのからまるチャペル。立教大学だったのかい。かの歌を覚えて数十年、やっと出会えたのである。

08 教会の中では、折しもミサをやっていて、さすがに入っていくのははばかられたので、外からこの、ネオゴシック風の窓を撮影させていただくにとどめた。

レンガはこういう風に積むのだぞ・・という見本みたいな積み方。今時、レンガ構造の建物は無いけれど、レンガタイルをコンクリートの壁に貼るときも、せめてこういう本物を参照したい。戦前のあるいは戦後のある時期まで、日本でも建築家の素養としてレンガの積み方が学ばれたようである。俺はさすがにそこまで古くない。だが、一応調べてみた。レンガの長手と小口を交互に積むこの積み方、フランス積みというのである。マーフィ・アンド・ダナ建築事務所というのは米国の設計事務所だったのだろうが、フランス積みを用いたのか・・・。一番エレガントな積み方だそうである。

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2007年7月 7日 (土)

池袋西口の辺り/立教大学

池袋西口を出て自由学園明日館を目指したのだが、道に迷ってしまった。この辺りの道は迷路のようになっていて、適当に歩いていると全然違う場所に出てしまったりする。

Photo_10 公園に出てしまった。どこだここは?とりあえず小便しておくか・・・と、入ったのがこの公衆便所。昔の公衆便所のイメージは、とにかく臭い、不潔。公衆便所に入る人間は慌てているのか、○○コが便器のまわりにべっとりついていたりして、そういうところで自分も○○コするのは、勇気が要ったよね。だが、この便所はよく掃除がしてあり、清潔であった。洗剤の匂いがした。その点は合格である。

デザインはどうなのか?公衆便所のデザインで感心したことはない。普段は脇役のトイレを主人公にした建物だからね、あまり一流の人が設計することはないと思われる。また、こういうのを名作に仕立て上げるのは至難の業であろう。この便所の場合は良い方だと思うよ。公衆便所・・これからも注目して行きたい。

さて、自由学園を目指していたのだが、この辺りで立教大学に向かう道案内を見つけたので、先にそちらに向かうことにした。

01_15 立教大学の正門前の通りを立教通りという。分かりやすい命名だ。ここらあたりは池袋駅前の猥雑感がやや薄れ、立教ボーイズ、ガールズの闊歩するシャレた街を装っている。とはいうものの、俺の評価点ではやっと60点ぐらいの感じで、欧米の有名大学の学生街とはまだ比べ物になりません。まず電信柱と電線、なんとかなりませんかね。

だが、立教大学のキャンパスはかなりいけてますよ。キャンパス内の女子学生のセンスが良さそうなのも評価点プラス。

02_5 まずキャンパス正門を入ると目に入るのが本館(モリス館)である。大正7年竣工ということで、90歳ぐらいの建物である。ご覧のように、敷地奥に向かって軸線がズーッと通っている。いかにもっていう感じだけれど、実際、奥への期待を抱かせる。この建物の前庭も古典的な左右対称の芝生の庭だけど、スケール感が良く、効いている。このモリス館、設計はマフィー&ダナ建築事務所ということらしいが、基本設計はJ.M.ガーティナーがやったと伝えられる。ガーティナーは教師として来日していたのだが、建築について造詣が深く、日本で幾つかの建物を設計している。建築は余技なのだけれど、上手い。

03 日本じゃないみたいな(これが褒め言葉だってことが悲しいね)美しいキャンパスだ。今の若い人だってきっとこういうキャンパスで青春を過ごしたいんだよ。

立教大学についてはもう少し写真がある。

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2007年7月 3日 (火)

池袋西口の辺りを歩く

仕事を休んで、池袋西口の近辺をウロついた。仕事を休んだのには一応理由がある。例の年金問題。俺も一つの会社にずっと勤め続けてきた訳ではないので、気になっていたのだ。社会保険庁のずさんな仕事ぶりが明らかになる前から気にしていたのだが、ここのところ年金記録を確かめるために社会保険事務所に人が殺到しているとの報道に恐れをなし、しばらく沈静化するのを待っていた。ようやく今日、自分の年金記録を確かめることができた。いや、社会保険事務所だけど、思ったより空いていたよ。すぐに終わった。そして池袋にね、ちょっとマーキングすることにした。

01_12池袋の西口を出た辺りはね、かなり猥雑な感じがあるんだよね。特に北の方。飲食店、パチンコ屋、風俗店などが入り混じっている。こういうところを普通の日にだよ、仕事を休んでうろついている・・・っていう感じが良いんだな。ただ、美的な意味ではひどいもんだよ。しかし、昔のことだけど、シカゴやニューヨークでこういう感じのところを歩くと、身の危険を感じた・・というか、危なそうな人がたくさんいて油断できない雰囲気だったけれど、日本の場合は、少なくとも昼間は、そういう危険な感じは無い。この頃治安が悪くなったと言われるけど、日本はまだまだ安全な国なんだろうな。新宿はどうかな。もうちょっと危ない感じ。でも午後9時ごろまでは大丈夫なんじゃない。ポン引きに引っかからなければね。

池袋を南に下っていくと目白に近づき、次第に上品な感じになってくる。そっちの方へ行ってみることにした。お目当てはある。立教大学と自由学園だ。01_14 だがその前に撮ったのが この写真。東京芸術劇場。

芦原義信、晩節を汚した作品。氏の代表的な著作「街並みの美学」が泣くね。芦原さんの全ての作品が悪いわけではない。駒沢体育館などは俺は嫌いではない。丹下健三のような天才的な切れ味は感じないが、芦原さんの育ちの良さみたいなものは伝わってくる。品が良いのである。

だが、この東京芸術劇場、品が無い。しかも巨大だ。ヤメテほしい。しかし建物は一度建ったらそう簡単に無くならない。そういう意味では、この次の写真の建物なども俺には許せない部類に属する。

02_3

東京都税事務所・・らしい。東京芸術劇場の向かいに道を挟んで建っている。誰の設計かは知らない。しかし、こういうのは結構名の知れた建築家の設計の可能性がある。ここに見えるのは自己顕示欲。これが建ち続けるのは犯罪的であろう。道を行く人々の目に否応なく飛び込んでくる醜悪。

これらの俺の嫌いな建物と、これから尋ねようとしている建物との違いこそ、建築に関わる者がよく観察しなければならないものだろうと思うのである。  つづく。

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2007年6月16日 (土)

WATERLINE/運河に浮ぶ建築物

Waterline03最初にこの話を聞いた時、瞬間的に「これは時間がかかりそうだ」と、「こういうことに巻き込まれたくないな」という気持ちが働いた。しかし、建設会社の設計部に属する設計屋には、仕事に対する拒否権というのは基本的に無い。依頼されるまま、「こんなわけの分からない仕事は部下に指示できない」と、自分で慣れないCADを操作して簡単に平面図、断面図を描いたのは2004年の秋だったと記憶する。その後、4ヶ月ほども連絡が無いものだから、もうこれは無い話だと、半ば胸をなでおろしていたのであるが。営業から、「この件について請けることにしたから、打合せに行ってもらいたい」と聞いた時は正直、不安だったね。まあいいや、今までだって先の見えない仕事に首を突っ込み、それでもとにかく、いつかは終わりが来たものだ・・と、指定された場所へ出かけた。日本建築センターだったよ、その場所ってのは。

平成元年1月19日建設省住宅局建築指導課長から特定行政庁建築主務部長に宛てた通達には次のようにある。

従来より、建築基準法第二条にいう「土地に定着する」状態とは、単に陸上で土地に強固に結合された状態のみならず、水面、海底等に定常的に桟橋や鎖等で定着された状態も含むものであるとの判断が確立しており、このような状態にある工作物に対しても、その使用実態に即して建築基準法が適用され・・・・

・・・海洋建築物については、既に昭和44年9月16日付け建設省住指発第371号「水面又は水中に設ける施設に関する安全性の確保について」により、その取扱方法を示しているところであるが、貴職におかれては現下の状況にかんがみ、今後とも建築基準法の適正かつ確実な執行に努められたく、念のため通達する。

難しい言い回しで書いてあるが、要するに、「このところ船なんかを利用してレストランだの水族館だのと造ってるようだが、前にも通達しといたように、動かないのなら建築だから、そう考えて指導させるように」と、言っているのである。

ところで、同日付の建設省住宅局建築指導課建設専門官から特定行政庁建築主務課長宛てに、次のような通達も出ている。

さて、海洋建築物の取扱いにつきましては、平成元年1月19日付け建設省住指発第5号をもって建築指導課長より通知されたところですが、一部の海洋建築物の建築主において、昨年二月の船舶安全法施行規則の改正により船舶安全法の適用が及んだ一定用途の係留船には、建築基準法の適用が及ばなくなったとの誤解があるように見受けられます。

・・・前期の係留船に船舶安全法の適用が及んだとのことについては、当方には船舶安全法所管部局より事前に何らの協議もなく、同法の改正によっても、係留船への建築基準法の適用の有無は、従前と変わるものではありません。・・・

これもくだいて言うと、「建設省には何の相談もなく、港湾の連中が係留船には船舶安全法の適用を決めたということだが、そっちはそっちで勝手にやったことなので、こちらは前々から決めている通り、建築基準法を適用して指導するので、皆さんそこんとこよろしく」と、言っているのである。まあ、こういうことで迷惑をこうむるのは民間の事業者である。またその事業者に依頼を受けた設計技術者や建設業者は、それら事業者の代わりに役所へ行き、あっちの部署、こっちの局と出向いて調整するのである。縦割り行政の役所の方に、自分達で内部調整をするという考えは乏しい。

幸いに平成10年3月31日、海上技術安全局安全基準課長および海上技術安全局検査測度課長から地方運輸局宛てに「係留船に係る取扱いについて」という通知が出ている。

係留船であって、船舶安全法のほか、港湾法、建築基準法又は消防法の適用を受けるものに関して、「規制緩和推進計画の再改定(平成9年3月28日閣議決定)」、「経済構造の変革と創造のための行動計画(平成9年5月16日閣議決定)」等に基づき、関係省庁において「複数の規制が適用される浮体構造物に係る技術基準の適用については、事業者に対し過重な負担を課すことがないよう、個別の事案ごとに、関係行政機関間で協議を行い、・・・」

2005年(平成17年)に入り、WATERLINEの実現に向けて役所協議を始めるのだが、上記の規制緩和により期待された「関係行政機関間での協議」は、正直言って無かったと言って良い。時既に建設省と運輸省は合併され、国土交通省となっているにも関わらず、この個別の事案が実現する為にあっちの役所、こっちの役所と調整してまわるのは、相変わらず民間の事業者側の担当者だったのである。ヤレヤレ。役所ってなんでいつまでも変われないのでしょうかね。

WATERLINEのデザインに見るべきものがあるとすれば、それはインテリアデザイン事務所CASAPPOの功績である。しかし、WATERLINEのような建造物をあそこにあのように浮かべるためには、並々ならぬ裏方のエネルギーが必要だったということは強調しておきたい。先日、WATERLINEを見せてやったら「ふーん」と言った妻よ、今回のブログだけは読むべし。そうして亭主の仕事の難しさを少しは推し量るがよい。

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2007年5月20日 (日)

林が切り倒されました

本日平成19年5月20日、朝から雲一つ無い青空が広がっている。清々しいとはこのことだな。こういう爽やかな天気はこの季節、そんなには多くない気がする。とは言え、こういう日のことを五月晴れというのだろう。それにもかかわら